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政談 / 諸役人に器量を選ふ事

故に賢才と云ふは一器量ある人を云ひて、左樣の人は一癖ある人の內に多くはあるものなりと料見して、其の人の役儀にはまるやうに使ひ込むときは眞の賢才現はるへし、御老中番頭以上の人は唯々人を取り出たすを我が第一の職分と心得て、左樣の人を取り出だすことを晝夜に心掛くべきことなり、殷の高宗は賢人を欲しく思召して傅說を夢に見たまへると云ふことあり、上たる人は眞實に人を得たく思召せは必らす人は出つるものなり、是れ眞の感道天道の冥助にて必す有る事なり、ゆめ〳〵疑ふべからす、唯々人を取り出たしたきと云ふ心なき故、善き人は出でぬなり、人を取り出たしたきと云ふ心なきことは、學問もなく下の情事の末に疎く、生れなからの上人なる故覺えす手前の才智を自慢し、下心ありて唯々我か心の如き人を欲しきとばかり思ひて、手前の才智にて事足ると思ふより人の欲しき眞實の心は起らぬなり、

新字:故に賢才と云ふは一器量ある人を云ひて、左様の人は一癖ある人の内に多くはあるものなりと料見して、其の人の役儀にはまるやうに使ひ込むときは真の賢才現はるへし、御老中番頭以上の人は唯々人を取り出たすを我が第一の職分と心得て、左様の人を取り出だすことを昼夜に心掛くべきことなり、殷の高宗は賢人を欲しく思召して傅説を夢に見たまへると云ふことあり、上たる人は真実に人を得たく思召せは必らす人は出つるものなり、是れ真の感道天道の冥助にて必す有る事なり、ゆめ〳〵疑ふべからす、唯々人を取り出たしたきと云ふ心なき故、善き人は出でぬなり、人を取り出たしたきと云ふ心なきことは、学問もなく下の情事の末に疎く、生れなからの上人なる故覚えす手前の才智を自慢し、下心ありて唯々我か心の如き人を欲しきとばかり思ひて、手前の才智にて事足ると思ふより人の欲しき真実の心は起らぬなり、

書き下し

故に賢才と云ふは一器量ある人を云ひて、左様の人は一癖ある人の内に多くはあるものなりと料見して、其の人の役儀にはまるやうに使ひ込むときは真の賢才現はるへし、御老中番頭以上の人は唯々人を取り出たすを我が第一の職分と心得て、左様の人を取り出だすことを昼夜に心掛くべきことなり、殷の高宗は賢人を欲しく思召して傅説を夢に見たまへると云ふことあり、上たる人は真実に人を得たく思召せは必らす人は出つるものなり、是れ真の感道天道の冥助にて必す有る事なり、ゆめ〳〵疑ふべからす、唯々人を取り出たしたきと云ふ心なき故、善き人は出でぬなり、人を取り出たしたきと云ふ心なきことは、学問もなく下の情事の末に疎く、生れなからの上人なる故覚えす手前の才智を自慢し、下心ありて唯々我か心の如き人を欲しきとばかり思ひて、手前の才智にて事足ると思ふより人の欲しき真実の心は起らぬなり、

現代語訳

だから賢才というのは一器量ある人をいうのであって、そのような人は一癖ある人の中に多くいるものだと考えて、その人が役目に打ち込むように使い込むときは、真の賢才が現れるだろう。御老中・番頭以上の人は、ただ人を取り立てることを自分の第一の職分と心得て、そのような人を取り立てることを昼夜心がけるべきである。殷の高宗は賢人をほしく思し召して、傅説(ふえつ)を夢に見られたということがある。上に立つ人が真実に人を得たいと思し召せば、必ず人は出るものである。これは真の感応の道、天道の冥助(目に見えない助け)であって、必ずあることである。決して疑ってはならない。ただ人を取り立てたいという心がないので、善い人は出ないのである。人を取り立てたいという心がないのは、学問もなく、下の事情の末端に疎く、生まれながらの上の人であるから、知らず知らず自分の才智を自慢し、下心があって、ただ自分の心のような人がほしいとばかり思って、自分の才智で事足りると思うことから、人がほしいという真実の心は起こらないのである。

解説

賢才は一器量ある人であり、一癖ある人の中に多い。だから老中・番頭以上は人を取り立てることを第一の職分とし、昼夜心がけよと徂徠は説く。殷の高宗が賢人を求めて夢に傅説を見た故事を引き、上が真実に人を求めれば必ず人は現れるという。逆に人が出ないのは、上が自分の才智で足りると思い、自分に似た人しか望まないからだ。採用や登用がうまくいかない組織は、まず上層部が本気で人を求めているかを問い直す必要がある。

この章句が説くこと

賢才人材登用天道職分傅説

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