政談 / 諸役人に器量を選ふ事
是は戰塲なれは各別のやうなれとも、治世にても上へ物申すは下たる者の身には虎口前同然のことなり、身の危きは同しこと也、此の情は下とならねは知らぬことなり、此事を三略には夫主將法務攬英雄心と云へり、昔北條早雲七書を聽くへしとて最初に此の所を聽き、七書を皆まて聽くにも及はす、我合點せりとて其あとをは聽かさりしと云ふ、餘りに早まりすきたるやうなることなれとも、名將は合點のほと徹底して人を使ひ人を知る道の外に軍法は入らぬことなりと云ふことを聞き、うか〳〵見ぬきたる故なり、
新字:是は戦塲なれは各別のやうなれとも、治世にても上へ物申すは下たる者の身には虎口前同然のことなり、身の危きは同しこと也、此の情は下とならねは知らぬことなり、此事を三略には夫主将法務攬英雄心と云へり、昔北条早雲七書を聴くへしとて最初に此の所を聴き、七書を皆まて聴くにも及はす、我合点せりとて其あとをは聴かさりしと云ふ、余りに早まりすきたるやうなることなれとも、名将は合点のほと徹底して人を使ひ人を知る道の外に軍法は入らぬことなりと云ふことを聞き、うか〳〵見ぬきたる故なり、
書き下し
是は戦塲なれは各別のやうなれとも、治世にても上へ物申すは下たる者の身には虎口前同然のことなり、身の危きは同しこと也、此の情は下とならねは知らぬことなり、此事を三略には夫主将法務攬英雄心と云へり、昔北条早雲七書を聴くへしとて最初に此の所を聴き、七書を皆まて聴くにも及はす、我合点せりとて其あとをは聴かさりしと云ふ、余りに早まりすきたるやうなることなれとも、名将は合点のほと徹底して人を使ひ人を知る道の外に軍法は入らぬことなりと云ふことを聞き、うか〳〵見ぬきたる故なり、
現代語訳
これは戦場のことだから別だと思うかもしれないが、治世であっても、上へ物を申すのは下の者の身にとっては虎口(敵陣の入口)の前と同然のことである。身が危ういのは同じである。この心情は下の身にならなければわからないことである。このことを『三略』には「それ主将の法は務めて英雄の心を攬る(すぐれた者の心をつかむ)」と言っている。昔、北条早雲が七書(武経七書)を聴講しようとして、最初にこの所を聴き、七書を全部聴くまでもなく、わかったと言ってその後は聴かなかったという。あまりに早合点がすぎるようなことであるが、名将は合点の深さが徹底していて、人を使い人を知る道のほかに軍法は要らないということを聞いて、さらりと見抜いたからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷中畢竟前書に御答申候通、自分の才智を御用候御病根、翳膜となり候て、ある人の御目に見え不申候にて可有御座候。御書面の趣にて察候へば、人才と被仰候は、定て御望の注文可有之候。其注文に合不申をば人才には不被成候と相見え申候。宋儒抔も手前より注文を出し候病有之候故、通鑑綱目を見候へば、天下古今に一人も朱子の心に合申候人見え不申候。皆々咎人にかき被成候。綱目を御覧候事悪敷候と常々申候は此義にて候。手前より注文を出し人を御さがし候は、手前の御物ずきを御立候にて御座候故、その御注文に合候人は天下古今尽未来際まで無之物に候。子細は人心不同如面候。足下の御面の様なる人無之候。是慥なる証拠に候。左様に六借く御尋候へば、御望の人無之而已に無御座、下たる人皆阿諛逢迎に罷成候物に候。今世の通病此事にとゞまり候。能く御了簡可被成候。以上。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事左れは下より申すこと理筋に当りたることならは、少し足らぬ所ありとても、夫には搆はす随分賞翫して褒美すへきことなり、愚かなる人は器量小さくて、下たる者と丈け較へをする心なる故、夫ほとのことは誰も知りたることゝて下と智恵争ひをするに、名将はそこには搆はすして、下として能くも申したると思ひて其の申したる所一筋を賞翫する心ゆき遥に別也、之を英雄の心をとると云ふなり、ひた物に斯の如くなれは、下たるものゝ心に勇み出てゝ、賤きものゝ申したるを聴届けられたる所、下たるものゝ身にては特の外辱なきものなるゆゑ、是よりして役儀にはまる心出来するものなり、
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史記 項羽本紀項王乃ち海春侯大司馬曹咎等に謂ひて曰く、「謹みて成皋を守れ、則ち漢挑戦せんと欲するも、慎みて与に戦ふ勿かれ、東するを得しむる毋きのみ。我十五日にして必ず彭越を誅し、梁の地を定め、復た将軍に従はん。」と。乃ち東し、行くゆく陳留・外黄を撃つ。外黄下らず。数日にして、已に降る、項王怒り、悉く男子の年十五已上をして城東に詣らしめ、之を阬にせんと欲す。外黄の令の舎人の児年十三、往きて項王に説きて曰く、「彭越彊ひて外黄を劫かす、外黄恐る、故に且く降りて、大王を待つ。大王至りて、又皆之を阬にせば、百姓豈に帰心有らんや。此より以東、梁の地十余城皆恐れ、肯へて下る莫からん。」と。項王其の言を然りとし、乃ち外黄の当に阬にすべき者を赦す。東して睢陽に至る、之を聞きて皆争ひて項王に下る。漢果たして数(しばしば)楚の軍に挑みて戦はんとす、楚の軍出でず。人をして之を辱めしむること、五六日、大司馬怒り、兵を汜水に渡す。士卒半ば渡る、漢之を撃ち、大いに楚の軍を破り、尽く楚国の貨賂を得たり。大司馬咎・長史翳・塞王欣皆汜水の上に自剄す。大司馬咎は、故の蘄の獄掾、長史欣も亦故の櫟陽の獄吏、両人嘗て項梁に徳有り、是を以て項王之を信任す。是の時に当たりて、項王睢陽に在り、海春侯の軍敗るると聞き、則ち兵を引きて還る。漢の軍方に鍾離眛を滎陽の東に囲む、項王至る、漢の軍楚を畏れ、尽く険阻に走る。是の時、漢の兵盛んにして食多く、項王の兵罷れて食絶ゆ。漢陸賈を遣はして項王に説き、太公を請はしむ、項王聴かず。漢王復た侯公をして往きて項王に説かしむ、項王乃ち漢と約し、天下を中分し、鴻溝以西を割く者を漢と為し、鴻溝よりして東なる者を楚と為す。項王之を許し、即ち漢王の父母妻子を帰す。軍皆万歳を呼ぶ。漢王乃ち侯公を封じて平国君と為す。匿れて肯へて復た見えず。
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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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『呻吟語』外篇・治道・人を我に體す先王の政を為すは、全く人心の上に在りて工夫を用ふ。其の人心を體するは、我が心の上に在りて工夫を用ふ。何者ぞ。同然の故なり。故に先王は人を我に體して、民心得られ、天下治まる。
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『呻吟語』内篇・存心・如何ぞ他を縱容し得んや人心は是れ個の猖狂自在の物、隕身敗家の賊なり。如何ぞ他を縱容し得んや。
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