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政談 / 諸役人に器量を選ふ事

代々の前蹤を見るに亡ふる代を見れは其の代には器量の人一人もなきやうなり、然れとも其の代を亡ほして取りたる方の人は矢張り其の亡ひたる代の人也、天より降りたるにもあらす、又異國より來りたるものにもあらす、矢張其の亡ひたる代の人なれとも、其の人の器量なることを知らずして用ひず、器量もなき人を用ゆる故、其代は亡ふるなり、其の代を亡ほしたる方にては其の前代に棄てたる人の器量を知りて之を用ゆること故、終に天下を取たること歷代皆斯の如し、左れは何れの世にも器量ある人はあることなり、唯々上に在ると下に在るとの違ひにて、器量ある人上にあるを人ありと云ふ、下に在るを人なしと云ふ、

新字:代々の前蹤を見るに亡ふる代を見れは其の代には器量の人一人もなきやうなり、然れとも其の代を亡ほして取りたる方の人は矢張り其の亡ひたる代の人也、天より降りたるにもあらす、又異国より来りたるものにもあらす、矢張其の亡ひたる代の人なれとも、其の人の器量なることを知らずして用ひず、器量もなき人を用ゆる故、其代は亡ふるなり、其の代を亡ほしたる方にては其の前代に棄てたる人の器量を知りて之を用ゆること故、終に天下を取たること歴代皆斯の如し、左れは何れの世にも器量ある人はあることなり、唯々上に在ると下に在るとの違ひにて、器量ある人上にあるを人ありと云ふ、下に在るを人なしと云ふ、

書き下し

代々の前蹤を見るに亡ふる代を見れは其の代には器量の人一人もなきやうなり、然れとも其の代を亡ほして取りたる方の人は矢張り其の亡ひたる代の人也、天より降りたるにもあらす、又異国より来りたるものにもあらす、矢張其の亡ひたる代の人なれとも、其の人の器量なることを知らずして用ひず、器量もなき人を用ゆる故、其代は亡ふるなり、其の代を亡ほしたる方にては其の前代に棄てたる人の器量を知りて之を用ゆること故、終に天下を取たること歴代皆斯の如し、左れは何れの世にも器量ある人はあることなり、唯々上に在ると下に在るとの違ひにて、器量ある人上にあるを人ありと云ふ、下に在るを人なしと云ふ、

現代語訳

歴代の先例を見ると、滅びる代を見れば、その代には器量の人が一人もいないかのようである。けれども、その代を滅ぼして天下を取った側の人は、やはりその滅びた代の人である。天から降ってきたのでもなく、また異国から来たのでもない。やはりその滅びた代の人であるが、その人が器量の人であることを知らずに用いず、器量もない人を用いたので、その代は滅びたのである。その代を滅ぼした側では、前の代が捨てた人の器量を知ってこれを用いたので、ついに天下を取ったのであり、歴代は皆このようである。だから、どの世にも器量のある人はいるのである。ただ上にいるか下にいるかの違いであって、器量ある人が上にいるのを「人がいる」と言い、下にいるのを「人がいない」と言うのである。

解説

王朝交代の歴史を引いて、徂徠は人材不在論をさらに崩す。滅んだ代に人がいなかったのではない。新しい代を興した人々もまた滅んだ代の人であり、前の代が用いずに捨てた人材を拾い上げただけだという。「人がいる」「いない」の差は、才ある人が上にいるか下に埋もれているかの差にすぎない。ある会社を辞めた人材が、別の会社や新興企業で活躍する例は珍しくない。自社が人材を捨てる側になっていないか、という問いとして読める。

この章句が説くこと

人材登用歴史興亡器量埋没

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