政談 / 諸役人に器量を選ふ事
名將の目がねと云ふは戰塲にて功を立てゝ、器量ある人を多く見多く使ひて大抵すぢきつかけを覺えて、此のすぢきつかけにて見て大抵知るゝことなり、されば古の名將にも人の見違ひありてやりそこなひとも多きは大抵は知るゝやうなれども、我か覺えたるすぢきつかけはかりをひ、我が終に見覺えぬすぢきつかけは知らぬ故見損ひあることなり、然れば人を知ると云は兎角使ひ見て知ることなり、さはなくて我か目かねにて人を見んとせは、畢竟我かもの好きに合はする人を器量ありと思ふことなり、是れ愚かなることの至極なり、
新字:名将の目がねと云ふは戦塲にて功を立てゝ、器量ある人を多く見多く使ひて大抵すぢきつかけを覚えて、此のすぢきつかけにて見て大抵知るゝことなり、されば古の名将にも人の見違ひありてやりそこなひとも多きは大抵は知るゝやうなれども、我か覚えたるすぢきつかけはかりをひ、我が終に見覚えぬすぢきつかけは知らぬ故見損ひあることなり、然れば人を知ると云は兎角使ひ見て知ることなり、さはなくて我か目かねにて人を見んとせは、畢竟我かもの好きに合はする人を器量ありと思ふことなり、是れ愚かなることの至極なり、
書き下し
名将の目がねと云ふは戦塲にて功を立てゝ、器量ある人を多く見多く使ひて大抵すぢきつかけを覚えて、此のすぢきつかけにて見て大抵知るゝことなり、されば古の名将にも人の見違ひありてやりそこなひとも多きは大抵は知るゝやうなれども、我か覚えたるすぢきつかけはかりをひ、我が終に見覚えぬすぢきつかけは知らぬ故見損ひあることなり、然れば人を知ると云は兎角使ひ見て知ることなり、さはなくて我か目かねにて人を見んとせは、畢竟我かもの好きに合はする人を器量ありと思ふことなり、是れ愚かなることの至極なり、
現代語訳
名将の目利きというのは、戦場で功を立て、器量のある人を多く見て多く使ううちに、おおよその手がかり(筋・きっかけ)を覚え、その手がかりで見ておおよそわかる、ということである。だから昔の名将にも人を見誤ってしくじった例が多いのは、おおよそはわかるようでも、自分が覚えた手がかりにばかり頼り、自分が見覚えたことのない手がかりはわからないので、見損じが起こるのである。そうであれば、人を知るとはとにかく使ってみて知ることである。そうではなく自分の目利きで人を見ようとすれば、結局は自分の好みに合う人を器量があると思い込むことになる。これは愚かさの極みである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』諸役人に器量を選ふ事此上に上たる人にゑりもとを見る心覚えすあるなり、富貴なる人を善きと見ては、貧賤成る人をは悪きと見ることは、もと女子わらべが怪きものあることにて之をゑりもとを見ると云ふ、上たる人などに箇様なる心有るまじきやうなれども、世末になるに従ひて、人の家筋極まりて上下別々になりたる世界なる故、高位大禄の人を善き人と思ひ、末々の者をはむしけらの如く思ふこと、上たる人にも免がれざる人情なり、此の上に又臣たる人には立身を好む利慾の心人情の免がれざる所なる故、何れも上の御機嫌に合はせ、上の御心を取らんと心懸くること甚たし、何程の名将にても下より之を一大事と心掛けて伺ひねらう所へ手前のものずき心の僻を見とられぬと云ふことなし、是亦人情の免がれがたき所なり、斯の如く様々の仔細によりて、手前の目かね手前の才智にて人の器量を知らんとするときは必す誤りあることなりと知るへし、
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『甲陽軍鑑』品第十四扨又一切の侍衆の内にも四人と、又高坂弾正が小眼より見立て候聞き給へ長坂長閑·跡部大炊助殿、一番に少しも戯げずして兵あり、二番に馬嫁にて兵あり、三番に利発にて臆病なる人あり、四番に馬嫁にて臆病なる人あり、一利発にて心の剛なる人をば世間の者憎むなり、一利発にて臆病なる者は人の機に入りて走り廻り近付き多し、一馬嫁にて兵は手抦をいたしても、あまり人が存ぜぬ者なり、馬嫁にて臆病なるをば人のなぶり者になり、結句衆人愛多し、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事其の仔細は上たる人は第一其の身貴く、其の地結搆なれは終に物の難儀苦労をせす、何事も心の儘なり、人の智は様々の難儀苦労をするより生するものなるに、左様なること無けれは智恵の生すへきやうなし、乱世の名将は生死の塲を経て様々の難儀をしたる故智慧あるなり、其の身の位貴けれは下々とは雲泥万里隔たる故、人の情に疎く下のことを知らす、常になるゝ人は皆な高位大禄の人なり、高位の人は高位の立ちまはり計を仕覚えて物云ひたる所、其の人の取り廻はし上たる人と能く相応する故、覚えす能く見ゆる、末々の者は高位の交はりをせす、立ちまはり物云ひまてふつゝかなり、又身高位ならねは上たる人のはだあひもの好きをも知らす、貴賤遥かに隔たる人の俄に呼ひ出たされてものを申す故、すぐに縮みて事の仔細をよく申しつくすこともならす、
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『甲陽軍鑑』品第十二必ず能き大将の下には侍衆先第一は大小共に慇懃を面にする、縦へそゝげたる様にても真なり、芸なき様にても身の能あり、馬を乗り弓を射、兵法をつかひ鉄炮を打、乱舞をも存じ、花を立、仕付方何事もそれ〳〵に恥をかゝず、殊に弓矢の義は心懸け强ければ、祖父·親·兄弟·親類·近付の覚有人に立入り、雑談をこまかに聞き、能く心に治むるに付十五六歳にて一度も陣をいたさずとも、悪き家にて覚の衆よりは心至つて物のすべを能しり、一言申ことも手首尾逢て残べし、
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『徂徠先生答問書』卷中一疵物の使ひにくき由被仰下候。成程〳〵尤なる御不審と存候。人情世態に歴練不被成候故、其疵の害をなし候は、如何程の儀と申候程位御心に落不申候て、御気遣ひ止不申にて御座候。御学問未熟にて小量なる故と可被思召候。此関打不透に候内は国の治はなり不申事に候。疵物と申候は、たとへばくせ馬のごとくに候。彼がくせを致し申候時の取納の仕様合点不参候内は気遣にて被乗不申候。是も尤には候得共、坐ながらに其取納の仕様合点参る物にて無御座候。馬屋の者ばくらう抔に能くせ馬をのり候者有之候。一々に馬術鍛錬致したるにても無御座候。又何程馬術鍛錬いたし候共、馬も活物に候へばくせの程位たしかに知れ申候に極りたる物にても無御座候。只気遣の心つよく御座候故、とにかくに埓明不申にて候。押こなしのりつけ候へば、左迄の気遣はなき物と申候事合点参る物に候。三度も五度もなげられ候心得にて無御座候ては、くせ馬にはのられ不申候。
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『甲陽軍鑑』品第十一又山本勘介兵法の義も、新当流にてあらざるとて議は勿体なし、新当流にも皆上手斗りは有るまじ、京流にも皆下手斗りも有るまじ、此勘介は白外にても木刀にても、数度手抦有るにおいては、それは上手なり、何の道にも上手をこそほむる者なれそれを弁もずして山本勘介をそしり給ふは、今川殿家運尽きて無穿鑿の故なり、
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