政談 / 御徒士衆與力を頭の心儘に入るゝ事並に御旗本諸役人に召出さるゝ事
是をこそ家筋と當座差當りの利口にて御役人になると料見し、御旗本を支配する頭も御徒士與力を支配する頭も組の治めと云ふことをは夢にも知らず組子は心儘に暮し、果は身上ならねは金を取りて養子をし、又た金を取りて代官を出たす事になるを、なまをとなしき方の料見にて彼等も身上ならす、さもせすはなるまじきなりと知りつゝも知らぬ顏をしたるか、今は風俗となり、御徒士與力なとは輕き家筋極まりたることになりたる故、與力は先手の武役御徒士は御馬先きに近き者なりと云ふ事をは忘れて、手前の奴僕の如く思ふより起れり、御旗本の頭も身をたかふりて組子を輕く見るより起れり、
新字:是をこそ家筋と当座差当りの利口にて御役人になると料見し、御旗本を支配する頭も御徒士与力を支配する頭も組の治めと云ふことをは夢にも知らず組子は心儘に暮し、果は身上ならねは金を取りて養子をし、又た金を取りて代官を出たす事になるを、なまをとなしき方の料見にて彼等も身上ならす、さもせすはなるまじきなりと知りつゝも知らぬ顔をしたるか、今は風俗となり、御徒士与力なとは軽き家筋極まりたることになりたる故、与力は先手の武役御徒士は御馬先きに近き者なりと云ふ事をは忘れて、手前の奴僕の如く思ふより起れり、御旗本の頭も身をたかふりて組子を軽く見るより起れり、
書き下し
是をこそ家筋と当座差当りの利口にて御役人になると料見し、御旗本を支配する頭も御徒士与力を支配する頭も組の治めと云ふことをは夢にも知らず組子は心儘に暮し、果は身上ならねは金を取りて養子をし、又た金を取りて代官を出たす事になるを、なまをとなしき方の料見にて彼等も身上ならす、さもせすはなるまじきなりと知りつゝも知らぬ顔をしたるか、今は風俗となり、御徒士与力なとは軽き家筋極まりたることになりたる故、与力は先手の武役御徒士は御馬先きに近き者なりと云ふ事をは忘れて、手前の奴僕の如く思ふより起れり、御旗本の頭も身をたかふりて組子を軽く見るより起れり、
現代語訳
これこそ、家筋とその場しのぎの利口さで御役人になれると考え、御旗本を支配する頭も、御徒士・与力を支配する頭も、組の治めということを夢にも知らないので、組子は気ままに暮らし、果ては暮らしが立たなくなると金を取って養子をし、また金を取って代官(身代わり)を出すことになるのを、中途半端に穏当ぶった考えで、彼らも暮らしが立たないのだから、そうでもしなければやっていけまいと知りながら知らぬ顔をしてきたのが、今では風俗となったのである。御徒士・与力などは軽い家筋と決まってしまったので、与力は先手の武役、御徒士は御馬先に近い者だということを忘れて、自分の奴僕のように思うことから起こったのである。御旗本の頭も、身分を高ぶって組子を軽く見ることから起こったのである。
解説
この章句が説くこと
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