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政談 / 諸役人職分支配を分つ事

上へ向ひては思召しに合はする樣にすれとも、下へ向ひては合はするこゝろなし、其の上に下萬人の見る所は何としても蔽ひかくされぬもの故、上へは知れかたく、下へはよく知るゝことにて、聖賢の法には右の如く云へる也、東照宮の御ことは御學問あそはさるゝ御隙も有るましくなれとも、聖人の道に叶ひ玉へる物多きは實に不思議なる御ことにて末々の御手本なるへし、但し小役人又は目付なとはいぢわるく人の惡むものをすることもあるなり、又をん國の役人なとには仲惡しきものを組合はすることも、人を使ふ上の一術なれとも、重き御役人には人の惡む所を好み人の好む所を惡むをは大學にも深く戒しめ、人の好む所を好み、人の惡む所を惡むを民の父母なりとて、之を擧け用ゆること聖人の奧儀也。

新字:上へ向ひては思召しに合はする様にすれとも、下へ向ひては合はするこゝろなし、其の上に下万人の見る所は何としても蔽ひかくされぬもの故、上へは知れかたく、下へはよく知るゝことにて、聖賢の法には右の如く云へる也、東照宮の御ことは御学問あそはさるゝ御隙も有るましくなれとも、聖人の道に叶ひ玉へる物多きは実に不思議なる御ことにて末々の御手本なるへし、但し小役人又は目付なとはいぢわるく人の悪むものをすることもあるなり、又をん国の役人なとには仲悪しきものを組合はすることも、人を使ふ上の一術なれとも、重き御役人には人の悪む所を好み人の好む所を悪むをは大学にも深く戒しめ、人の好む所を好み、人の悪む所を悪むを民の父母なりとて、之を挙け用ゆること聖人の奥儀也。

書き下し

上へ向ひては思召しに合はする様にすれとも、下へ向ひては合はするこゝろなし、其の上に下万人の見る所は何としても蔽ひかくされぬもの故、上へは知れかたく、下へはよく知るゝことにて、聖賢の法には右の如く云へる也、東照宮の御ことは御学問あそはさるゝ御隙も有るましくなれとも、聖人の道に叶ひ玉へる物多きは実に不思議なる御ことにて末々の御手本なるへし、但し小役人又は目付なとはいぢわるく人の悪むものをすることもあるなり、又をん国の役人なとには仲悪しきものを組合はすることも、人を使ふ上の一術なれとも、重き御役人には人の悪む所を好み人の好む所を悪むをは大学にも深く戒しめ、人の好む所を好み、人の悪む所を悪むを民の父母なりとて、之を挙け用ゆること聖人の奥儀也。

現代語訳

人は上に向かっては御意に合わせるようにするが、下に向かっては合わせる心がない。そのうえ下の万人が見るところはどうしても覆い隠せないものなので、上には知られにくく、下にはよく知られる。それで聖賢の法には右のように説いているのである。東照宮(家康)の御ことは、御学問をなさる暇もなかったであろうに、聖人の道に適っておられることが多いのは実に不思議なことで、末々までの御手本とすべきである。ただし小役人や目付などには、意地悪く人に憎まれるような者を置くこともある。また遠国の役人などに仲の悪い者を組み合わせることも、人を使う上の一つの術ではあるが、重い御役人については、人の憎むところを好み、人の好むところを憎むことを『大学』でも深く戒めており、人の好むところを好み、人の憎むところを憎む人を「民の父母」として挙げ用いることこそ聖人の奥義である。

解説

人は上には合わせても下には合わせないので、その人の素顔は下の者がいちばんよく知っている。徂徠はこれを聖人が民に問う理由とし、学問の暇もなかった家康がその道に適っていたことを手本とする。一方で、監察役に嫌われ者を置いたり、遠国の役人に不仲な者を組ませたりする牽制の術も認めつつ、重役には『大学』のいう、民の好む所を好む「民の父母」のような人を選べと説く。現代でも監査部門と経営幹部とでは求める人柄が違う。役割に応じて人選の基準を変える視点が大切である。

この章句が説くこと

人材登用大学民聖人牽制

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