政談 / 官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事
何の役にも留帳之なし、是宜しからさることなり、大形は先例先格を空に覺えて取扱ふ故覺え違ひあるなり、留め帳に類分をして置くときは手間とらず知るゝことなり、當時は其の役に久しき人內證にて書留をして、一等中將勳二等、少將勳三等、侍從勳四等、四品勳五等、諸大夫勳六等、布衣の御役勳七等と大抵當て置き、勳八等より十二等迄は無官の階級たるへし、固より官位と勳階とは別々のことなれは、勳一等に仰せ付けられて宰相に仰せ付けられさる人も宰相同格なるへし、勳二等に仰せ付けられて中將に仰せ付けられさる人も中將と同格なるへし、其の違ひ斯の如くなるへし、又大老職御老中なとは重き職なれは、大老職官位のかたは中將少將にて勳一等二等とも成り、御老中の端位の方には侍從にて勳三等となるやうにするときは、大名の支配をするに高官高位の人を下知すること威勢はかりに非らす、是れ亦一つの德なり、又た等人公家士なとの四位五位又たは關東にて仰せ付られさる法眼法橋は前々より無官同然のあひしらいなること、公武各別と立てゝ斯の如く仕り來れとも、是亦たゝ御威勢計りにて無理に押付けたるやう思ふ人あれとも、
新字:何の役にも留帳之なし、是宜しからさることなり、大形は先例先格を空に覚えて取扱ふ故覚え違ひあるなり、留め帳に類分をして置くときは手間とらず知るゝことなり、当時は其の役に久しき人内証にて書留をして、一等中将勲二等、少将勲三等、侍従勲四等、四品勲五等、諸大夫勲六等、布衣の御役勲七等と大抵当て置き、勲八等より十二等迄は無官の階級たるへし、固より官位と勲階とは別々のことなれは、勲一等に仰せ付けられて宰相に仰せ付けられさる人も宰相同格なるへし、勲二等に仰せ付けられて中将に仰せ付けられさる人も中将と同格なるへし、其の違ひ斯の如くなるへし、又大老職御老中なとは重き職なれは、大老職官位のかたは中将少将にて勲一等二等とも成り、御老中の端位の方には侍従にて勲三等となるやうにするときは、大名の支配をするに高官高位の人を下知すること威勢はかりに非らす、是れ亦一つの徳なり、又た等人公家士なとの四位五位又たは関東にて仰せ付られさる法眼法橋は前々より無官同然のあひしらいなること、公武各別と立てゝ斯の如く仕り来れとも、是亦たゝ御威勢計りにて無理に押付けたるやう思ふ人あれとも、
書き下し
何の役にも留帳之なし、是宜しからさることなり、大形は先例先格を空に覚えて取扱ふ故覚え違ひあるなり、留め帳に類分をして置くときは手間とらず知るゝことなり、当時は其の役に久しき人内証にて書留をして、一等中将勲二等、少将勲三等、侍従勲四等、四品勲五等、諸大夫勲六等、布衣の御役勲七等と大抵当て置き、勲八等より十二等迄は無官の階級たるへし、固より官位と勲階とは別々のことなれは、勲一等に仰せ付けられて宰相に仰せ付けられさる人も宰相同格なるへし、勲二等に仰せ付けられて中将に仰せ付けられさる人も中将と同格なるへし、其の違ひ斯の如くなるへし、又大老職御老中なとは重き職なれは、大老職官位のかたは中将少将にて勲一等二等とも成り、御老中の端位の方には侍従にて勲三等となるやうにするときは、大名の支配をするに高官高位の人を下知すること威勢はかりに非らす、是れ亦一つの徳なり、又た等人公家士なとの四位五位又たは関東にて仰せ付られさる法眼法橋は前々より無官同然のあひしらいなること、公武各別と立てゝ斯の如く仕り来れとも、是亦たゝ御威勢計りにて無理に押付けたるやう思ふ人あれとも、
現代語訳
どの役にも留帳(記録の帳簿)がない。これはよろしくないことである。たいていは先例・先格をそらで覚えて取り扱うので覚え違いがある。留帳に類分けをしておくときは、手間取らずにわかることである。今はその役に久しい人が内々に書き留めをして、一等、中将は勲二等、少将は勲三等、侍従は勲四等、四品は勲五等、諸大夫は勲六等、布衣の御役は勲七等とおおよそ当てておき、勲八等から十二等までは無官の階級とすべきである。もとより官位と勲階とは別々のことなので、勲一等を仰せ付けられて宰相を仰せ付けられない人も宰相と同格であるべきである。勲二等を仰せ付けられて中将を仰せ付けられない人も中将と同格であるべきである。その違いはこのようであるべきである。また大老職・御老中などは重い職なので、大老職は官位の方は中将・少将で勲一等・二等ともなり、御老中の下位の方は侍従で勲三等となるようにするときは、大名の支配をするのに高官高位の人に下知することが御威勢ばかりではなくなる。これもまた一つの益である。また地下の公家侍などの四位五位、または関東で仰せ付けられない法眼・法橋は、以前から無官同然の扱いであることは、公武各別と立ててこのようにしてきたけれども、これもまたただ御威勢ばかりで無理に押し付けたように思う人があるけれども、
解説
この章句が説くこと
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
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