政談 / 貸借の道の事
貸借の道塞かると云ふは、近年貸借の公義多くは相對になりて、大形はさはがぬことになりたる故、金銀金持の千兩にからまり居て、世界に流通せぬ故金銀の德用のすくなく成りて世界困窮したる筋あり、古未た金銀を用ひさる世は錢はかりなり、錢と云ふ文字はもと泉と云ふ字なり、泉の地中を流行く如く世界を馳せ周くるを以て、世界を潤ほすに形とりて泉と名けたるを、後の代に文字を書換へたるなり、されは金銀も其如く世界をめくること金銀の德なり、金持ちとても常住金を手に握りて居るものに非す、大形は手形はかりなり、偖は質物となりて有り、實の金銀は一所に所を定めす、所々を周くりありく故百兩の金は十萬兩餘の金と成り、書付けにて見れは十萬兩餘なれとも、其金を集めて見れは僅かに百兩の金なること、是金銀のすがたなり、故に金銀の員數減少したる上又貸借の道塞かる、されは世界に金銀不足にて人の難義すること理なり、
新字:貸借の道塞かると云ふは、近年貸借の公義多くは相対になりて、大形はさはがぬことになりたる故、金銀金持の千両にからまり居て、世界に流通せぬ故金銀の徳用のすくなく成りて世界困窮したる筋あり、古未た金銀を用ひさる世は銭はかりなり、銭と云ふ文字はもと泉と云ふ字なり、泉の地中を流行く如く世界を馳せ周くるを以て、世界を潤ほすに形とりて泉と名けたるを、後の代に文字を書換へたるなり、されは金銀も其如く世界をめくること金銀の徳なり、金持ちとても常住金を手に握りて居るものに非す、大形は手形はかりなり、偖は質物となりて有り、実の金銀は一所に所を定めす、所々を周くりありく故百両の金は十万両余の金と成り、書付けにて見れは十万両余なれとも、其金を集めて見れは僅かに百両の金なること、是金銀のすがたなり、故に金銀の員数減少したる上又貸借の道塞かる、されは世界に金銀不足にて人の難義すること理なり、
書き下し
貸借の道塞かると云ふは、近年貸借の公義多くは相対になりて、大形はさはがぬことになりたる故、金銀金持の千両にからまり居て、世界に流通せぬ故金銀の徳用のすくなく成りて世界困窮したる筋あり、古未た金銀を用ひさる世は銭はかりなり、銭と云ふ文字はもと泉と云ふ字なり、泉の地中を流行く如く世界を馳せ周くるを以て、世界を潤ほすに形とりて泉と名けたるを、後の代に文字を書換へたるなり、されは金銀も其如く世界をめくること金銀の徳なり、金持ちとても常住金を手に握りて居るものに非す、大形は手形はかりなり、偖は質物となりて有り、実の金銀は一所に所を定めす、所々を周くりありく故百両の金は十万両余の金と成り、書付けにて見れは十万両余なれとも、其金を集めて見れは僅かに百両の金なること、是金銀のすがたなり、故に金銀の員数減少したる上又貸借の道塞かる、されは世界に金銀不足にて人の難義すること理なり、
現代語訳
貸借の道が塞がるというのは、近年は貸し借りの訴訟の多くが「相対(当事者同士で解決せよ)」とされ、たいていは奉行所が取り上げなくなったため、金銀が金持ちの千両の中にからまって留まり、世の中に流通しないので、金銀の働きが少なくなって世の中が困窮したという筋がある。昔、まだ金銀を使わなかった世は銭ばかりであった。銭という文字は、もとは泉という字である。泉が地中を流れ行くように世の中を駆け巡り、世の中を潤すことにかたどって泉と名づけたのを、後の代に文字を書き換えたのである。それゆえ金銀もそのように世の中を巡ることこそが金銀の徳である。金持ちといっても常に金を手に握っているものではない。たいていは手形ばかりであり、さもなければ質物となっている。実際の金銀は一か所に居所を定めず、あちこちを巡り歩くので、百両の金は十万両余りの金となる。書付で見れば十万両余りであっても、その金を集めてみればわずか百両の金であるということ、これが金銀の姿である。だから金銀の数が減少したうえに、また貸借の道が塞がる。そうであれば世の中に金銀が不足して人が難儀するのは道理である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「知に人より賢れる有らば、則ち知と謂う可きか」と。子墨子曰く、「愚の知に以て人より賢れる有るも、愚、豈に知と謂う可けんや」と。公孟子曰く、「三年の喪は、吾が父母を慕うを學ぶなり」と。子墨子曰く、「夫れ嬰兒子の知は、獨り父母を慕うのみ。父母、得可からざれば、然れども號びて止まず。此れ其の故は何ぞや。即ち愚の至りなり。然らば則ち儒者の知、豈に以て嬰兒子より賢れること有らんや」と。子墨子曰く、「儒者に問う、『何の故に樂を為すや』と」。
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