政談 / 公儀御身上の制度の事
箇樣のことも武家は皆不案內なること以ての外のことなり、鐵砲を打つとて自賛する人に焰硝は何れの國より出つるやと問ふに知りたる人も無し、上より焰硝を取ることも知らぬ人多し、太平の代々こそ買求めて埓あくへけれ、ものゝ仕方も功者も次第になくなれは樂なる境界にはありけるなり、馬は牧を仕立てゝ取らすること公家の代も異朝の代々も此通りなり、關八州は古より馬所なるに武藏野をは所務もをさまらぬ畑に開き、今は牧なくなり馬をは府中にて御買上に成ること埓もなきことなり、秩父庄司別當齋藤別當と云ふは古は牧の役人を武藏の國計り別當と云ふ、關八州の內にて別して武藏を賞翫するは武藏野の馬をとる故なり、甲斐の國には古は牧多、し今まは甲州馬は惡きと云ふは馬の惡きか、飼料の古へと違ひたるにや、人足のたぐひは御旗本の下人と江戶中の町人の役として務むへきことなり、此七八十年以前まては日用をやとひてそれにすることはなきなり、
新字:箇様のことも武家は皆不案内なること以ての外のことなり、鉄砲を打つとて自賛する人に炎硝は何れの国より出つるやと問ふに知りたる人も無し、上より炎硝を取ることも知らぬ人多し、太平の代々こそ買求めて埓あくへけれ、ものゝ仕方も功者も次第になくなれは楽なる境界にはありけるなり、馬は牧を仕立てゝ取らすること公家の代も異朝の代々も此通りなり、関八州は古より馬所なるに武蔵野をは所務もをさまらぬ畑に開き、今は牧なくなり馬をは府中にて御買上に成ること埓もなきことなり、秩父庄司別当斎藤別当と云ふは古は牧の役人を武蔵の国計り別当と云ふ、関八州の内にて別して武蔵を賞翫するは武蔵野の馬をとる故なり、甲斐の国には古は牧多、し今まは甲州馬は悪きと云ふは馬の悪きか、飼料の古へと違ひたるにや、人足のたぐひは御旗本の下人と江戸中の町人の役として務むへきことなり、此七八十年以前まては日用をやとひてそれにすることはなきなり、
書き下し
箇様のことも武家は皆不案内なること以ての外のことなり、鉄砲を打つとて自賛する人に炎硝は何れの国より出つるやと問ふに知りたる人も無し、上より炎硝を取ることも知らぬ人多し、太平の代々こそ買求めて埓あくへけれ、ものゝ仕方も功者も次第になくなれは楽なる境界にはありけるなり、馬は牧を仕立てゝ取らすること公家の代も異朝の代々も此通りなり、関八州は古より馬所なるに武蔵野をは所務もをさまらぬ畑に開き、今は牧なくなり馬をは府中にて御買上に成ること埓もなきことなり、秩父庄司別当斎藤別当と云ふは古は牧の役人を武蔵の国計り別当と云ふ、関八州の内にて別して武蔵を賞翫するは武蔵野の馬をとる故なり、甲斐の国には古は牧多、し今まは甲州馬は悪きと云ふは馬の悪きか、飼料の古へと違ひたるにや、人足のたぐひは御旗本の下人と江戸中の町人の役として務むへきことなり、此七八十年以前まては日用をやとひてそれにすることはなきなり、
現代語訳
このようなことも、武家がみな不案内なのはもってのほかのことである。鉄砲を撃つといって自慢する人に、焔硝(火薬の原料)はどの国から出るのかと問うても、知っている人はいない。お上から焔硝を取ることも知らない人が多い。太平の世々だからこそ、買い求めて用が済むのであろうが、物の作り方も巧者もしだいになくなれば、楽な境遇にはあったのである。馬は牧を仕立てて取らせることは、公家の世も異国の代々もこのとおりである。関八州は昔から馬の産地なのに、武蔵野を、年貢も上がらない畑に開いてしまい、今は牧がなくなって、馬は府中で御買い上げになるのは、らちもないことである。秩父庄司の別当や斎藤別当というのは、昔、牧の役人を武蔵の国だけ別当といったのである。関八州の中でとりわけ武蔵を重んじたのは、武蔵野の馬を取るからである。甲斐の国には昔は牧が多かったが、今は甲州馬は悪いというのは、馬が悪いのか、飼料が昔と違うのであろうか。人足の類いは、御旗本の下人と江戸中の町人の役として務めるべきことである。この七、八十年前までは、日雇いを雇ってそれにすることはなかったのである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』公儀御身上の制度の事元は御連枝の御分れなれとも、世久く隔りては上の御気遣ひあるへきは此の御方々なり、中頃駿河と甲斐とを御一所に遊せられたるなとも宜しからざる国つけなり、銚子浦小田原浦のたぐひ大名ともに下さるへき地にあらす、魚類は浦人の役として御台所へ付込みて、魚を沢山に御使はせありて豊かなるこそさもあるへきことなれ、箇様の所をは大名に下され、魚をは御買上げにして、御物の入るとて御台所にけこを入れてるにあらしぬさもしきことを御役人とものするは如何なることやらん不学の致す所なり、野菜のたぐひは畑年貢を許し江戸在郷の田少く畑ばかりの所にて、百姓の役として作らせ御台所へ入れさすへし、一切の諸色は諸職人に御扶持を下され、其ものを御渡し有て織らせ作らせすへし、古より職人のたぐひを官位をすること此いわれなり、
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『政談』公儀御身上の制度の事武器の類ひ同心の役として造らすへし、某か父方の祖父の先祖尾張常陸之介と云ふもの、太田道灌の家分れで岩付にあり、陣より帰りては同心子に家来鎧をおとしなをし、刀の柄を捲き直し、鞘を塗り直し、刀脇刺鎗長刀を研き弓鉄砲を修覆したる話を曽祖母の語りしとて父か云ひけるなり、加藤清正は石垣の名人と云はれし人なり、さむらい大将に飯田覚兵衛足軽大将に三宅角左衛門其事を司りて足軽石を切たり、幕を打て人に見せす、甚た秘事とするよし彼家の老人の語りしを某直に承はる、今其足軽の子孫水野和泉か家に居りて今に石細工をするなり、尾州の与力同心は平岩主計頭より伝はりたり、今に色々の細工をするなり、古風皆斯の如し、昔武家国々にありしとき斯の如くならすんは何としてか弁すへき、今悉く御城下の町人の手に渡りて彼等か利倍になる故、武用の本色を忘れて殊の外粗相になる、此頃公儀の同心に渡る鉄砲の薬用に立たす、同心とも手前の銭を出して町人を頼み拵へ直して貰ひ稽古の鉄砲を打つなり、
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『政談』公儀御身上の制度の事其仕方公儀にて御入用のほとを積りて其大名の身上〳〵に応し出さしむべきなり、譬へは越前よりは奉書つめ、会津よりは蝋うるし、南部相馬よりは馬、上州加賀よりは絹、仙台長門よりは紙のたぐひなり、身上の高よりは出もの多形なとは外より出るものを下さるゝこともあるへし、御城下に御蔵を所々に立て置きて馬にて付込すへし、当時献上物なとのやうに仰山にすることにては諸大名無用の痛みと成るへし、唯当時御買上けになるを御買上げにせすして諸大名に出さするまてのことにすへし、歴代の先例皆斯の如し、偖又古は名山大川は封せずと云ふことあり、左様の所をは大名には下さらぬことなり、材木の出つる山金銀銅鉄鉛等の出つる山、名塩の出つる地は下されましき所なり、当時尾州へ木曽を進せられ、紀州へは熊野を進せられたること古法になきことなり、下されましき山を下し置れて上の御用には材木を御買上けにすること如何なる無調法なる仕方なるろや、特に東山東海の二道を尾州の御領にて塞くこと是れ亦あるましきことの第一なり、
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『政談』御旗本諸士の困窮を救ふ事某唐筆弓の仕やうを人に教へさせたるに、書籍にある通りに成るほと出来て弓の力も随分に強く善けれども、御当地にてする故にもの入り夥し、又手間とる故商人なとは仲々すましきなり、弩弓をさせたるに是も書藉にあるやうに能く出来れとも、御当地に善き竹なし、竹なども愚かなる商人の己れか渡世利倍を第一としてたやすく売らるゝもの許りを御当地へ持ち来る故、遠国には様々の竹あるべけれとも詮方なし、笙なとも竹なくて細工なりかたし、此たぐひの事も武家たる人田舎に住みてものを仕立つる心あらは、異国古のものも今復た世界に多く出来すべきこと也、
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事されとも百姓は物入りを嫌ひ、又江戸を恐れて申し出てぬこと田舎の定まりたる情なり、何事も御城下へは知れぬことにて当分は何事もあるましけれとも、飢饉打続きなとせは夜討強盗復田舎に起り盛に成るへし、馬盗人と云ふもの馬を盗みては遠かけをして二日路も脇へ売るなり、夫よりまた先きへ段々に売る故知れぬことなり、此たくひ博奕うちなとは遠方に仲間有りて、仲間と云へは知る人にてなくても、仲間の頼もしづくにて働くことなる故強盗に近きものなり、強盗も遠かけをするものなり、皆一類なり、
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『政談』當時困窮を改むる道古三代の制度を考へ定むべき事畢竟精を出して上へ奉公をして、上より賜はる禄は残らず皆御城下の商人のものとなり、馬を持ことも成らす、人を持こともならず、各春のきふ符の間をは質物にてとりつゞき、町人に仕送りと云ふことを頼みて、己れが身上は人の手に渡るやうに当時はなりきはまりたるは哀なる事ならずや、畢竟は箸一本にても代を出して買調へされは叶はさること故斯の如くなりたるなり、之のみならず公儀の御身上も同く旅宿の仕掛なり、其仔細は何もかも皆御買上けにて御用を弁せらるヽによりて旅宿なり、惣して和漢ともに天下を知し召さるゝ上は、御買上と云ふことはなき故なり、大名なとの在所他国なるか御城下に参勤して詰め居るは旅宿なれは尤のことなり、天下を知し召さるゝ上は日本国中は皆御国なり、何もかも皆其のものを直に御用ひなさるゝこと故御買上げと云ふことはなき筈なり、物を買ふと云ふは元来人のものなるをたゝは取られぬことなる故代を出して取ることを云ふなり、
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