政談 / 公儀御身上の制度の事
武器の類ひ同心の役として造らすへし、某か父方の祖父の先祖尾張常陸之介と云ふもの、太田道灌の家分れで岩付にあり、陣より歸りては同心子に家來鎧をおとしなをし、刀の柄を捲き直し、鞘を塗り直し、刀脇刺鎗長刀を研き弓鐵砲を修覆したる話を曾祖母の語りしとて父か云ひけるなり、加藤清正は石垣の名人と云はれし人なり、さむらい大將に飯田覺兵衛足輕大將に三宅角左衞門其事を司りて足輕石を切たり、幕を打て人に見せす、甚た秘事とするよし彼家の老人の語りしを某直に承はる、今其足輕の子孫水野和泉か家に居りて今に石細工をするなり、尾州の與力同心は平岩主計頭より傳はりたり、今に色々の細工をするなり、古風皆斯の如し、昔武家國々にありしとき斯の如くならすんは何としてか辨すへき、今悉く御城下の町人の手に渡りて彼等か利倍になる故、武用の本色を忘れて殊の外粗相になる、此頃公儀の同心に渡る鐵砲の藥用に立たす、同心とも手前の錢を出して町人を賴み拵へ直して貰ひ稽古の鐵砲を打つなり、
新字:武器の類ひ同心の役として造らすへし、某か父方の祖父の先祖尾張常陸之介と云ふもの、太田道灌の家分れで岩付にあり、陣より帰りては同心子に家来鎧をおとしなをし、刀の柄を捲き直し、鞘を塗り直し、刀脇刺鎗長刀を研き弓鉄砲を修覆したる話を曽祖母の語りしとて父か云ひけるなり、加藤清正は石垣の名人と云はれし人なり、さむらい大将に飯田覚兵衛足軽大将に三宅角左衛門其事を司りて足軽石を切たり、幕を打て人に見せす、甚た秘事とするよし彼家の老人の語りしを某直に承はる、今其足軽の子孫水野和泉か家に居りて今に石細工をするなり、尾州の与力同心は平岩主計頭より伝はりたり、今に色々の細工をするなり、古風皆斯の如し、昔武家国々にありしとき斯の如くならすんは何としてか弁すへき、今悉く御城下の町人の手に渡りて彼等か利倍になる故、武用の本色を忘れて殊の外粗相になる、此頃公儀の同心に渡る鉄砲の薬用に立たす、同心とも手前の銭を出して町人を頼み拵へ直して貰ひ稽古の鉄砲を打つなり、
書き下し
武器の類ひ同心の役として造らすへし、某か父方の祖父の先祖尾張常陸之介と云ふもの、太田道灌の家分れで岩付にあり、陣より帰りては同心子に家来鎧をおとしなをし、刀の柄を捲き直し、鞘を塗り直し、刀脇刺鎗長刀を研き弓鉄砲を修覆したる話を曽祖母の語りしとて父か云ひけるなり、加藤清正は石垣の名人と云はれし人なり、さむらい大将に飯田覚兵衛足軽大将に三宅角左衛門其事を司りて足軽石を切たり、幕を打て人に見せす、甚た秘事とするよし彼家の老人の語りしを某直に承はる、今其足軽の子孫水野和泉か家に居りて今に石細工をするなり、尾州の与力同心は平岩主計頭より伝はりたり、今に色々の細工をするなり、古風皆斯の如し、昔武家国々にありしとき斯の如くならすんは何としてか弁すへき、今悉く御城下の町人の手に渡りて彼等か利倍になる故、武用の本色を忘れて殊の外粗相になる、此頃公儀の同心に渡る鉄砲の薬用に立たす、同心とも手前の銭を出して町人を頼み拵へ直して貰ひ稽古の鉄砲を打つなり、
現代語訳
武器の類いは同心(下級の武士)の役として造らせるのがよい。私の父方の祖父の先祖に尾張常陸介という者がいて、太田道灌の家の分かれで岩付(岩槻)にいた。戦から帰っては、同心や家来が鎧を威し直し、刀の柄を巻き直し、鞘を塗り直し、刀・脇差・槍・長刀を研ぎ、弓や鉄砲を修理した話を、曾祖母が語ったといって父が言ったのである。加藤清正は石垣の名人といわれた人である。侍大将の飯田覚兵衛と足軽大将の三宅角左衛門がその事をつかさどって、足軽が石を切った。幕を張って人に見せず、たいへん秘事としたということを、あの家の老人が語ったのを私はじかに聞いた。今その足軽の子孫が水野和泉の家にいて、今も石細工をしている。尾州の与力・同心は平岩主計頭から伝わったもので、今もいろいろの細工をしている。古風はみなこのようであった。昔、武家が国々にいたとき、このようでなければどうして用を足せただろうか。今はことごとく御城下の町人の手に渡って彼らの利得になるので、武用の本来の姿を忘れて、ことのほか粗悪になっている。この頃、公儀の同心に渡される鉄砲は役に立たず、同心どもは自分の銭を出して町人に頼み、作り直してもらって稽古の鉄砲を撃っているのである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』當時世話敷風俗を改むへき事商人も知らす夫を取りさばく御役人もしらす、功者と云ふは唯々御城下にて左様なることを仕馴たるまてなり、其上に立つ御役人は只金の多く入らぬ了簡と目付を付て邪推を廻して下に私をさせましきとする迄の事にて、自身は何も知らぬ故畢竟の所商人にだまされて御城下の普請益々悪くなり其の損云ふばかりなし、昔の大工は家に巻物を伝へて堅く法を守るに、当時の大工は渡世に追はれ少しも細工を多く受取んとする、大工も次第に下手になりて家居も早く損するなり、器物も亦斯の如し、某か家に父方の曽祖母の伊勢にて拵へ置たる朱塗の碗家具あり、祖父より父へ伝へ父より伝はりて今にあり、百年に余れども朱色も変ることなく疵も付かす、その丈夫なること甚し、某田舎にて百姓の重箱なと拵ゆるを見たるに、塗師も不自由なり、塗師一人にて上総の国中を方々雇れ歩きて細工するなり、
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『政談』大名の潰れ跡引拂の事但し其の潰れたる大名の家財の内、弓鉄砲具足などは親類の方へ改め預り置き、跡の仰せ付けられを待ちて上へ伺はせ其の親類に下さゝるとも、又小身にても跡目を立てたる人に下さるゝことなりとも、又上へ召上らるゝことなりともあるべきことなり、其の仔細は右の類の武器は大名の国を守る道具なれば、後家のものに成るへきやうなし、町人へ売払ふへきものにあらず、又家来は浪人するなれば家来の分散して取るべきものにあらず、又家来の自分に所持したる弓鉄砲具足も主人の親類の方へ預け置て、跡目仰せ付られ済みて後ち、其の主々へ帰すべき事なり、但し鉄砲は浪人の所持すべきものにあらざれば、其の親類方へ買取るべし、斯の如く定法を立ては、家来の取こもりすみに気遣ひはあるまじ、されば屋敷を引きとることは相応にゆるやかにさすべきことなり、
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『政談』大名の潰れ跡引拂の事城を受取る節も右のたぐひの武器をば城より出して、城を受取る人に相渡し、其の後城を引渡すべきことなり、尤も城付の道具は引渡すことなれども、其の外の武器は其の沙汰を承はり及はさる故に茲に記す、国を守る武器は大名ならで入ざる事なり、其の家潰るゝからは公儀へ悉く上るべし、外の家財とは各別のものなり、町人百姓に売渡すこと曽てあるべからさることなり、異国にては三代の後世も蔵甲と云ひて、甲胃は公儀へ納め置きて、合戦の前に渡し帰陣しては又納むることなり、日本の古も同じ、津の国兵庫は神功皇后三韓征伐の武器を納めたる所なり、武蔵の秩父は日本武尊の東夷征伐の武器を納めたる所なり、今武家の世になりては、人々所持することなれは、大名の潰れあとは右の如く有るべきことなり、
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『政談』公儀御身上の制度の事箇様のことも武家は皆不案内なること以ての外のことなり、鉄砲を打つとて自賛する人に炎硝は何れの国より出つるやと問ふに知りたる人も無し、上より炎硝を取ることも知らぬ人多し、太平の代々こそ買求めて埓あくへけれ、ものゝ仕方も功者も次第になくなれは楽なる境界にはありけるなり、馬は牧を仕立てゝ取らすること公家の代も異朝の代々も此通りなり、関八州は古より馬所なるに武蔵野をは所務もをさまらぬ畑に開き、今は牧なくなり馬をは府中にて御買上に成ること埓もなきことなり、秩父庄司別当斎藤別当と云ふは古は牧の役人を武蔵の国計り別当と云ふ、関八州の内にて別して武蔵を賞翫するは武蔵野の馬をとる故なり、甲斐の国には古は牧多、し今まは甲州馬は悪きと云ふは馬の悪きか、飼料の古へと違ひたるにや、人足のたぐひは御旗本の下人と江戸中の町人の役として務むへきことなり、此七八十年以前まては日用をやとひてそれにすることはなきなり、
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『政談』御旗本諸士の困窮を救ふ事某唐筆弓の仕やうを人に教へさせたるに、書籍にある通りに成るほと出来て弓の力も随分に強く善けれども、御当地にてする故にもの入り夥し、又手間とる故商人なとは仲々すましきなり、弩弓をさせたるに是も書藉にあるやうに能く出来れとも、御当地に善き竹なし、竹なども愚かなる商人の己れか渡世利倍を第一としてたやすく売らるゝもの許りを御当地へ持ち来る故、遠国には様々の竹あるべけれとも詮方なし、笙なとも竹なくて細工なりかたし、此たぐひの事も武家たる人田舎に住みてものを仕立つる心あらは、異国古のものも今復た世界に多く出来すべきこと也、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事御旗本の面々番頭とは遠く、御老中若老中とは又一段遠く、御上とは益々遠く隔たるゆゑ、人たるものゝ情上と隔たれば仲間と組合ふこと人情の常なり、御老中若老中番頭の権威は強く、たま〳〵申し出つることは取り上けられす、何事も上の差図にて使はれ、手前の才智を出たすことなけれは、武家の気皆寐入りて気の勇みなく、身搆をすることになり、当時は下は下にて怪まりて、武家の心惣体特の外に横着になりたり、惣して上たる人の一言の言葉にて感涙して命を棄て、職分に身を踏み込むは人情常なるに、上の仕掛け風俗に連れて悪しくなりたる故、武家に勢抜けたるは、今は器量ある人のなきと是上の使ひやうの悪しき故なりと知るへし、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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