政談 / 大名の潰れ跡引拂の事
但し其の潰れたる大名の家財の內、弓鐵砲具足などは親類の方へ改め預り置き、跡の仰せ付けられを待ちて上へ伺はせ其の親類に下さゝるとも、又小身にても跡目を立てたる人に下さるゝことなりとも、又上へ召上らるゝことなりともあるべきことなり、其の仔細は右の類の武器は大名の國を守る道具なれば、後家のものに成るへきやうなし、町人へ賣拂ふへきものにあらず、又家來は浪人するなれば家來の分散して取るべきものにあらず、又家來の自分に所持したる弓鐵砲具足も主人の親類の方へ預け置て、跡目仰せ付られ濟みて後ち、其の主々へ歸すべき事なり、但し鐵砲は浪人の所持すべきものにあらざれば、其の親類方へ買取るべし、斯の如く定法を立ては、家來の取こもりすみに氣遣ひはあるまじ、されば屋敷を引きとることは相應にゆるやかにさすべきことなり、
新字:但し其の潰れたる大名の家財の内、弓鉄砲具足などは親類の方へ改め預り置き、跡の仰せ付けられを待ちて上へ伺はせ其の親類に下さゝるとも、又小身にても跡目を立てたる人に下さるゝことなりとも、又上へ召上らるゝことなりともあるべきことなり、其の仔細は右の類の武器は大名の国を守る道具なれば、後家のものに成るへきやうなし、町人へ売払ふへきものにあらず、又家来は浪人するなれば家来の分散して取るべきものにあらず、又家来の自分に所持したる弓鉄砲具足も主人の親類の方へ預け置て、跡目仰せ付られ済みて後ち、其の主々へ帰すべき事なり、但し鉄砲は浪人の所持すべきものにあらざれば、其の親類方へ買取るべし、斯の如く定法を立ては、家来の取こもりすみに気遣ひはあるまじ、されば屋敷を引きとることは相応にゆるやかにさすべきことなり、
書き下し
但し其の潰れたる大名の家財の内、弓鉄砲具足などは親類の方へ改め預り置き、跡の仰せ付けられを待ちて上へ伺はせ其の親類に下さゝるとも、又小身にても跡目を立てたる人に下さるゝことなりとも、又上へ召上らるゝことなりともあるべきことなり、其の仔細は右の類の武器は大名の国を守る道具なれば、後家のものに成るへきやうなし、町人へ売払ふへきものにあらず、又家来は浪人するなれば家来の分散して取るべきものにあらず、又家来の自分に所持したる弓鉄砲具足も主人の親類の方へ預け置て、跡目仰せ付られ済みて後ち、其の主々へ帰すべき事なり、但し鉄砲は浪人の所持すべきものにあらざれば、其の親類方へ買取るべし、斯の如く定法を立ては、家来の取こもりすみに気遣ひはあるまじ、されば屋敷を引きとることは相応にゆるやかにさすべきことなり、
現代語訳
ただし、その潰れた大名の家財のうち、弓・鉄砲・具足などは親類の方で改めて預かっておき、跡の仰せ付けを待って上へ伺わせ、その親類に下されるにせよ、また小身でも跡目を立てた人に下されるにせよ、また上へ召し上げられるにせよ、そうあるべきである。そのわけは、右の類の武器は大名が国を守る道具であるから、後家(未亡人)のものになるはずがない。町人へ売り払うべきものではない。また家来は浪人するのであるから、家来が分けて取るべきものでもない。また家来が自分で所持していた弓・鉄砲・具足も、主人の親類の方へ預けておき、跡目の仰せ付けが済んだ後、その持ち主にそれぞれ返すべきである。ただし鉄砲は浪人の所持すべきものではないので、その親類方へ買い取らせるべきである。このように定法を立てれば、家来が立てこもる心配はないだろう。そうであれば、屋敷を引き取ることは相応にゆるやかにさせるべきである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』大名の潰れ跡引拂の事城を受取る節も右のたぐひの武器をば城より出して、城を受取る人に相渡し、其の後城を引渡すべきことなり、尤も城付の道具は引渡すことなれども、其の外の武器は其の沙汰を承はり及はさる故に茲に記す、国を守る武器は大名ならで入ざる事なり、其の家潰るゝからは公儀へ悉く上るべし、外の家財とは各別のものなり、町人百姓に売渡すこと曽てあるべからさることなり、異国にては三代の後世も蔵甲と云ひて、甲胃は公儀へ納め置きて、合戦の前に渡し帰陣しては又納むることなり、日本の古も同じ、津の国兵庫は神功皇后三韓征伐の武器を納めたる所なり、武蔵の秩父は日本武尊の東夷征伐の武器を納めたる所なり、今武家の世になりては、人々所持することなれは、大名の潰れあとは右の如く有るべきことなり、
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『政談』大名の潰れ跡引拂の事大名の潰れたるとき跡の江戸の屋敷を引払ふこと余り火急なることなり、近比水野隼人正か節承はり及ひ候に、家中の下々盗みをし、財宝を棄売りにし、町人押込み不法なる体、跡を御預けなされたる親類の家来鎗の鞘を外づし町人を制したる様子など御城下にあるまじき次第也、隼人正か養母巣鴨の屋敷より松平安芸守か下屋敷へ引きとるか、某か門前を通りたるを見けるに、粗相なる乗物一挺に供の女中は皆徒足なり、確かとしたる士も付かず、長持ちを担ひたる棒は生木の杉の枝を落ろしたるばかりなり、しとねを物に包まず物にも入れず、細引にからげて持ち乗る、特の外にあわてゝ取りみだしたる体なり、隼人の正か妻を戸田釆女正が方へ引き取りたるは舟にて夜中に引きたる故見苦しきことなしと云ふ、是は両家より迎に参りたるものゝ才不才にもよるべけれども、惣体余りに火急なることなり、
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『政談』大名の潰れたる其の家來を鄕士にすへき事大名の家謀叛なと惣して御咎めの筋にても無きを、家の潰るゝは其家来に咎なし、然るに家潰るれは家来流浪すること世の風俗と成り、詮方なきことなれとも痛ましきことなり、元来武士なれは町人百姓の業もならす、渡世すへきやうなけれは今は様々の悪事を仕出すものもあり、是れ其身の咎なれとも畢竟上の政道の足らぬ所とも云ふへきか、
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『政談』大名の潰れたる其の家來を鄕士にすへき事其城御番城になるときも小身ものを遣されても、番人は右の郷さむらいを加へて事足るへし、又其城を別に下さるゝときも、其郷さむらいをは城付として上下の気に入り取たて候はんも、又罪ありて刑戮せんも、元来よりの家中にかはりなく心次第にせよと御定め有るへし、斯の如くなるときは大名の家中諸士長く主人の悪逆に組すること有まじ、其子孫永々まても謀叛に組する気遣あるまし、尚又仙台の片倉長門の吉川肥前の諫早阿波の稲田なとの類をは兼て参勤をも仰付けられ、別段に御目見をも御奉公をも仰付られ置れて、左様の時節に至らは兼ての御奉公を以て知行を半減にもして召出さるへし、斯の如くあらは外様大身の大名を御潰しあらんことも御心の儘なるへし、是大名を潰すへきための策には非す、日本国中は上の御心の儘になるやうに為され置かれ、されとも時に取りては政道は差支ゆる所あることなる故斯の如くの愚按に及へり、
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『政談』大名の潰れ跡引拂の事是は昔主人の潰れたるあとにて其の家来が籠りて住ぬことあるより、火急に屋敷を引払ふ事、上を敬ふ筋なりとて、其の潰れたる人の親類の下知したるか初となり、斯の如く仕来りて法の様に成り上よりも今は下知するなるべし、左れども昔は諸大名の江戸宅は何れも当座の旅宿と不断心得居、陣小屋の心持ちに覚えたる故、今に大名の長屋をば小屋と云ひならはすことなれども、今は江戸勝手の家来多く成り常住の宅の如し、大名の妻女も昔は特の外に甲斐〳〵しく取りまはしたれとも今まはさなし、当時に至りては其家内に御悪みなければ、今少し寛やかにあり度ものなり、
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『政談』諸大名の困窮を救ふ事昔は大名に物をつかはすること上策なれとも、今は諸大名の困窮至極になりたれは身上をよくたもちて永々参勤交代のなるやうにする事是当時の良策なるへし、其仕方は之も公儀と同断にて其国より出つるものを直に取用ひて金にてものを調へぬ仕方有へし、家中の武士をは皆知行所を割り渡して面々の知行所に居住し城下へ勤番をするやうにし、偖参勤の節召つるゝ人数を殊の外に减少し、御城下往来の供まわりをも随分に減し、奥方の作法より始まり其身の持やう、食事衣服器物家居人のつかひやう音信贈答使しやの次第冠婚喪祭の礼まて、その官位知行高に応し何れも随分に物入少く取りつゝきのなるやうに積り、上より制度を立て玉ふへき事なり、公儀にばかり制度を立てゝそれに準すへしなとゝあるやう成ことにては今まて並を見合はせて仕来りたることを既に格と名を付けたれは之を改むることなりかたし、この格と名を付たることをやふることは公儀より新たに制度を立玉はすしては仲々破れ難し、之れを破らすしては諸大名の身上は直るへからさるなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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