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政談 / 當時制度之なき事

人さまて困窮せす、栃木土佐守か語りし、土佐守か父伊豫守八才の時大かた大猷院樣の御代なるへし、隣りに能ありて見物に呼れしに裏付け上下を持たさる故見物に得往かすと、三萬石餘の大名の總領か八才まて裏付け上下を待たねは草履かた〳〵木履かた〳〵なる風俗の代なれはなり、當時はそれがし式のものゝ子ともゝ、裏付けの上下は持つことなり、昔は裏付けの所へ麻上下にても着たるなり、今は格式のやうに成りて無官なるものも上下も小袖も帷子も數品を揃へて持ねはならぬ世界なり、是れ制度のやうなれとも眞の制度と云ふ物に非す、世の風にて自然と新規なることを仕出し、それを見やう見まねにするより後は風俗に成りたるより見れは、今は格式作法となりたるなり、譬へは裏付け上下も羽織袴も皆平服なり、然かるに羽織袴は略儀なり、裏付上下を着へき塲なりと云ふこと今の世には有るなり、

新字:人さまて困窮せす、栃木土佐守か語りし、土佐守か父伊予守八才の時大かた大猷院様の御代なるへし、隣りに能ありて見物に呼れしに裏付け上下を持たさる故見物に得往かすと、三万石余の大名の総領か八才まて裏付け上下を待たねは草履かた〳〵木履かた〳〵なる風俗の代なれはなり、当時はそれがし式のものゝ子ともゝ、裏付けの上下は持つことなり、昔は裏付けの所へ麻上下にても着たるなり、今は格式のやうに成りて無官なるものも上下も小袖も帷子も数品を揃へて持ねはならぬ世界なり、是れ制度のやうなれとも真の制度と云ふ物に非す、世の風にて自然と新規なることを仕出し、それを見やう見まねにするより後は風俗に成りたるより見れは、今は格式作法となりたるなり、譬へは裏付け上下も羽織袴も皆平服なり、然かるに羽織袴は略儀なり、裏付上下を着へき塲なりと云ふこと今の世には有るなり、

書き下し

人さまて困窮せす、栃木土佐守か語りし、土佐守か父伊予守八才の時大かた大猷院様の御代なるへし、隣りに能ありて見物に呼れしに裏付け上下を持たさる故見物に得往かすと、三万石余の大名の総領か八才まて裏付け上下を待たねは草履かた〳〵木履かた〳〵なる風俗の代なれはなり、当時はそれがし式のものゝ子ともゝ、裏付けの上下は持つことなり、昔は裏付けの所へ麻上下にても着たるなり、今は格式のやうに成りて無官なるものも上下も小袖も帷子も数品を揃へて持ねはならぬ世界なり、是れ制度のやうなれとも真の制度と云ふ物に非す、世の風にて自然と新規なることを仕出し、それを見やう見まねにするより後は風俗に成りたるより見れは、今は格式作法となりたるなり、譬へは裏付け上下も羽織袴も皆平服なり、然かるに羽織袴は略儀なり、裏付上下を着へき塲なりと云ふこと今の世には有るなり、

現代語訳

人はさほど困窮しなかった。栃木土佐守が語ったことだが、土佐守の父の伊予守が八歳のとき、おそらく大猷院様(徳川家光)の御代のことであろう、隣で能があって見物に呼ばれたが、裏付きの裃を持っていないので見物に行けなかったという。三万石余りの大名の総領が八歳まで裏付きの裃を持たなかったのは、草履片方に下駄片方というような風俗の代だったからである。今は私ごとき者の子どもでも裏付きの裃は持っている。昔は裏付きを着るべき所へ麻の裃でも着たのである。今は格式のようになって、無官の者でも裃も小袖も帷子も品数を揃えて持たなければならない世の中である。これは制度のようであるが、真の制度というものではない。世の風で自然と新しいことをし出し、それを見よう見まねにするうちに後には風俗になったことから見れば、今は格式・作法となったのである。たとえば裏付きの裃も羽織袴もみな平服である。それなのに、羽織袴は略儀で、裏付きの裃を着るべき場だということが今の世にはあるのである。

解説

三万石余りの大名の跡継ぎでさえ、家光の頃には八歳まで裏付きの裃を持たず、能の見物を断ったという逸話で、昔の簡素さを描く。それが今では無官の者の子まで裃を揃える。徂徠は、こうした格式は誰かが定めた制度ではなく、新しい流行の見よう見まねが積もって作法になったものだと見る。どちらも平服のはずの裃と羽織袴に、いつの間にか格の上下ができている。社内の服装や接待の「暗黙の格式」も、多くはこうして生まれる。誰が決めたのかを問い直す価値がある。

この章句が説くこと

格式風俗制度質素作法家光

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