政談 / 當時困窮を改むる道古三代の制度を考へ定むべき事
古の聖人上下の困窮を救ふ道とて別に一種の妙術を設け玉ふにもあらず、唯々古禹湯文武の御代は其仕方に委しき故若干の年數を經ても世界は斯く困窮せす、是によりて三代ともに何れも五百年の久しきを越えたり、漢唐宋明の代にも其仕方面々に、變りありて、其仕方の變りある所いつれも其時代々々の勢ひ樣子を考へて、世界の早く氣に入り早く治まる筋を了簡したるものなれとも、其善と思ふ所三代聖人の仕方に背く故却て其所より害生して國の亂るゝ端となりたることなり、左れとも漢唐宋明も全躰聖人の道に則りたる驗しにて何れも大抵三百年の世を保てり、日本にても淡海公唐朝の仕方に基きて律令格式を作りて是にて國の治めをなし玉ひ、三百年を經て天下武家の手に渡る、其後鎌倉は百年にて亡ひ、室町家は百年にて天下大に亂る、何れも不學にて三代先王の治めに則ることを知らさる故年數甚たつまれり、
新字:古の聖人上下の困窮を救ふ道とて別に一種の妙術を設け玉ふにもあらず、唯々古禹湯文武の御代は其仕方に委しき故若干の年数を経ても世界は斯く困窮せす、是によりて三代ともに何れも五百年の久しきを越えたり、漢唐宋明の代にも其仕方面々に、変りありて、其仕方の変りある所いつれも其時代々々の勢ひ様子を考へて、世界の早く気に入り早く治まる筋を了簡したるものなれとも、其善と思ふ所三代聖人の仕方に背く故却て其所より害生して国の乱るゝ端となりたることなり、左れとも漢唐宋明も全体聖人の道に則りたる験しにて何れも大抵三百年の世を保てり、日本にても淡海公唐朝の仕方に基きて律令格式を作りて是にて国の治めをなし玉ひ、三百年を経て天下武家の手に渡る、其後鎌倉は百年にて亡ひ、室町家は百年にて天下大に乱る、何れも不学にて三代先王の治めに則ることを知らさる故年数甚たつまれり、
書き下し
古の聖人上下の困窮を救ふ道とて別に一種の妙術を設け玉ふにもあらず、唯々古禹湯文武の御代は其仕方に委しき故若干の年数を経ても世界は斯く困窮せす、是によりて三代ともに何れも五百年の久しきを越えたり、漢唐宋明の代にも其仕方面々に、変りありて、其仕方の変りある所いつれも其時代々々の勢ひ様子を考へて、世界の早く気に入り早く治まる筋を了簡したるものなれとも、其善と思ふ所三代聖人の仕方に背く故却て其所より害生して国の乱るゝ端となりたることなり、左れとも漢唐宋明も全体聖人の道に則りたる験しにて何れも大抵三百年の世を保てり、日本にても淡海公唐朝の仕方に基きて律令格式を作りて是にて国の治めをなし玉ひ、三百年を経て天下武家の手に渡る、其後鎌倉は百年にて亡ひ、室町家は百年にて天下大に乱る、何れも不学にて三代先王の治めに則ることを知らさる故年数甚たつまれり、
現代語訳
古の聖人が上下の困窮を救った道といっても、特別に一種の妙術を設けられたわけではない。ただ、古の禹・湯・文王・武王の御代は、そのやり方が行き届いていたので、多くの年数を経ても世の中はこのように困窮せず、そのため三代(夏・殷・周)はいずれも五百年の長さを越えたのである。漢・唐・宋・明の代にも、そのやり方にはそれぞれ変わりがあり、その変わったところは、いずれもその時代時代の勢いや様子を考えて、世の中が早く気に入り早く治まる筋を工夫したものではあるが、良いと思ったところが三代の聖人のやり方に背いていたので、かえってそこから害が生じて、国の乱れる端緒となったのである。それでも漢・唐・宋・明も、全体としては聖人の道にのっとっていたしるしに、いずれもおおよそ三百年の世を保った。日本でも淡海公(藤原不比等)が唐朝のやり方に基づいて律令格式を作り、これで国を治められ、三百年を経て天下は武家の手に渡った。その後、鎌倉は百年で亡び、室町家は百年で天下が大いに乱れた。いずれも学問がなく、三代の先王の治めにのっとることを知らなかったので、年数がひどく縮まったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「知に人より賢れる有らば、則ち知と謂う可きか」と。子墨子曰く、「愚の知に以て人より賢れる有るも、愚、豈に知と謂う可けんや」と。公孟子曰く、「三年の喪は、吾が父母を慕うを學ぶなり」と。子墨子曰く、「夫れ嬰兒子の知は、獨り父母を慕うのみ。父母、得可からざれば、然れども號びて止まず。此れ其の故は何ぞや。即ち愚の至りなり。然らば則ち儒者の知、豈に以て嬰兒子より賢れること有らんや」と。子墨子曰く、「儒者に問う、『何の故に樂を為すや』と」。
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