政談 / 武家旅宿の境遇を改むる事
强盜のことは某田舍に罷り在るとき橫川村と云ふ所に四郞左衛門と云ふものあり、强盜の頭をしたるものなり、年よりて强盜を已めて後生一三まいに成りて居たるなり、其の者の話にて精しく承はる、百姓の分限なるものは箇樣なる者を懇にして身の力とすることなる故、其の近所よりは知りつゝも申し出ぬなり、中山勘解由時代より田舍にも右の樣なる惡類絕えたり、是は勘由解一人にて捕へ盡したるにもあらす、唯々矢風に恐れてやみ、又をし國にては公儀にて箇樣のあらものを御もちひなさるゝによりて、諸大名もあらけなき取り捌きをしたるよりやみたるなるへし、當時は又博奕打のたくひは盛になりたると承はる、歷代の亂を考ふるに世末になるに隨ひて如何樣のことになるへきも測り難し、畢竟武家田舍に居らす、關八州明き地のやうになりたる故右の如き惡類もの皆多く關八州の地より出遠國へも働きたることなり、
新字:強盗のことは某田舎に罷り在るとき横川村と云ふ所に四郎左衛門と云ふものあり、強盗の頭をしたるものなり、年よりて強盗を已めて後生一三まいに成りて居たるなり、其の者の話にて精しく承はる、百姓の分限なるものは箇様なる者を懇にして身の力とすることなる故、其の近所よりは知りつゝも申し出ぬなり、中山勘解由時代より田舎にも右の様なる悪類絶えたり、是は勘由解一人にて捕へ尽したるにもあらす、唯々矢風に恐れてやみ、又をし国にては公儀にて箇様のあらものを御もちひなさるゝによりて、諸大名もあらけなき取り捌きをしたるよりやみたるなるへし、当時は又博奕打のたくひは盛になりたると承はる、歴代の乱を考ふるに世末になるに随ひて如何様のことになるへきも測り難し、畢竟武家田舎に居らす、関八州明き地のやうになりたる故右の如き悪類もの皆多く関八州の地より出遠国へも働きたることなり、
書き下し
強盗のことは某田舎に罷り在るとき横川村と云ふ所に四郎左衛門と云ふものあり、強盗の頭をしたるものなり、年よりて強盗を已めて後生一三まいに成りて居たるなり、其の者の話にて精しく承はる、百姓の分限なるものは箇様なる者を懇にして身の力とすることなる故、其の近所よりは知りつゝも申し出ぬなり、中山勘解由時代より田舎にも右の様なる悪類絶えたり、是は勘由解一人にて捕へ尽したるにもあらす、唯々矢風に恐れてやみ、又をし国にては公儀にて箇様のあらものを御もちひなさるゝによりて、諸大名もあらけなき取り捌きをしたるよりやみたるなるへし、当時は又博奕打のたくひは盛になりたると承はる、歴代の乱を考ふるに世末になるに随ひて如何様のことになるへきも測り難し、畢竟武家田舎に居らす、関八州明き地のやうになりたる故右の如き悪類もの皆多く関八州の地より出遠国へも働きたることなり、
現代語訳
強盗のことは、私が田舎にいた時、横川村という所に四郎左衛門という者がいた。強盗の頭をしていた者である。年をとって強盗をやめ、後生一三昧(来世の救いを願うことに専念)になっていた。その者の話で詳しく聞いた。百姓の中で裕福な者は、このような者と親しくして自分の力とするので、その近所の者は知っていながら申し出ないのである。中山勘解由(火付盗賊改の中山直守)の時代から田舎にもこのような悪党が絶えた。これは勘解由一人で捕らえ尽くしたのではない。ただその威勢を恐れてやみ、またおしなべて公儀でこのような荒っぽい者をお用いになったので、諸大名も荒々しい取り計らいをしたことから、やんだのであろう。今はまた博打打ちの類いが盛んになったと聞く。歴代の乱を考えると、世が末になるにつれてどのようなことになるかも測りがたい。結局、武家が田舎にいないので、関八州(関東八か国)が空き地のようになったために、右のような悪党がみな多く関八州の地から出て、遠国へも働いたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事されとも百姓は物入りを嫌ひ、又江戸を恐れて申し出てぬこと田舎の定まりたる情なり、何事も御城下へは知れぬことにて当分は何事もあるましけれとも、飢饉打続きなとせは夜討強盗復田舎に起り盛に成るへし、馬盗人と云ふもの馬を盗みては遠かけをして二日路も脇へ売るなり、夫よりまた先きへ段々に売る故知れぬことなり、此たくひ博奕うちなとは遠方に仲間有りて、仲間と云へは知る人にてなくても、仲間の頼もしづくにて働くことなる故強盗に近きものなり、強盗も遠かけをするものなり、皆一類なり、
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『政談』江戶町中並に武家屋敷の締りの事当時盗賊所々に押入て人を殺し、物を盗み、或は火を付け、或は夜中に人離れたる所に待掛け追剥をし、或ひは年若き浮気なるものども、追剥にてはなく唯々刀を抜き人を追ひ走らかして慰にする類も之あり、並に弃て物のたぐひ知れがたし、或は弃ものあると呼ばゝれば家々騒ぎたち、人を出しそれ〳〵の屋敷前に弃てさせまじきとするばかりにて之を制する人無し、面々の塀の外は往還の通なれば、支配する人なく、道奉行の支配なれども江戸中広き通々を道奉行僅かの支配にて参り届くべきやうなし、盗賊奉行火方の役儀なれども、夥しく広き江戸中を僅か一組二組にては是亦参り届くべきやうなし、中山勘解由などは厳しき男にて、捕ふると直に殺したる故盗賊も静りたり、是御入国初めの仕方、武威を以て威して、悪人の恐れて静まる仕方にて、元より盗賊等を捕へ尽す仕方に非す、其余風残りて斯の如し、
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事偖田舎の締りなく成たり、田舎の締りと云ふは昔は在々に武家満ち〳〵たれは百姓共我儘ならす、百年以来地頭知行所に住まさる故かしらをさるゝもの無くて、百姓特の外に我儘になりたり、御旗本の武士小身なれは自身住まずしては江戸より知行所の仕置することならす、代官なと遣はすにも小身者の家来若とう風情のものなれは何の用にも立たす、自から私領をも公儀より治むるやうになりて、弥々地頭を軽することに今はなりたり、人殺なとあるときも江戸へ申し来り、江戸より詮議する故日数延ひて詮議手延になり、実否も知れぬことになれるもの多し、又盗人なと捕へても江戸へ連れ参れは途中の物入り多く、江戸にて詮議六ケ敷く手間取る故物入多く、又作の時節農業の邪魔になる故其の儘になして申し出です、又博奕うち三笠付けなとの御触有ても右の仔細なれば仇をさるゝことを厭ひて申出てす、又目あかしなと云ふやうなるたくひも田舎へ行きて様々の悪事をすれとも、之をも右の仔細にて申し出てす、何事も公儀の御仕置は江戸はかりのやうにて田舎へは行きわたらぬ事みな武家のすまぬ故なり、
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『政談』强盜の事夜打ち辻切り追剥は皆強盗なり、古より律のをきてに謀反叛逆の次に必す強盗を出たすこと何故なれば、強盗より一揆は生ずること歴代のしるし皆斯の如くなる故なり、当時の御役人文盲にて古今の事跡に暗き故、強盗の甚た重きことを知らず、此の詮議をろそかなり、律のをきてに強盗の罪は首従を分たす皆斬罪なり、聖人の法にも人をたからに殺すものは罪死を許さゞることなり、此のたぐひのものは仲間有りて御詮議あれば江戸より田舎へ迯げ行き、田舎より他国へ迯け行く、厳しく御詮議あるべきことなり、田舎に武家居住せざる故兎角御仕置は江戸ばかりのやう也、
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『政談』代官と云ふ役の事惣して百姓の奢り盛なるより農業を厭ひ商人と成ること近来盛になりて、田舎以ての外に衰微す、是によりて博奕盗賊等已むことなし、人殺等あるときも其の所に奉行なき故、江戸へ注進する内に日数延ひては詮議も成らぬことになる、大方は何もかもいさかひては物入りを厭ひて江戸へ申し出てす、博奕盗賊のたくひも心儘なり、川除け堤普請のたくひも当時は代官江戸に居住する故、不案内なり、それ故手代任せにする故、江戸の町人と組合にて何事も江戸流に仕付けたる格を聞きて物入り広大也、大身にて武備をも兼備へされは飢饉打続き盗賊盛ならんときに至りて之を静むへき様なし、
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事田舎に武家居住せさる故武家田舎へ行きて放埓をするを気遣ひ、五里外へ罷出つることは今はならさることなれとも、夫とは違ひ在々所々に地頭之ある上は筋ある所へ参り放埓すへきやうなし、川狩鹿狩をも仕りて山川をかけありき、国中の地理をも知り、嶮岨にもなれ、物事に武士にわさ功者になるへし、当時は我か身江戸にありて知行所遠方なれは、なじみもなく恩義も貫ぬかす、只百姓よりは年貢をとる者と覚え、百姓は亦年貢を出だすとはかり覚え、唯々取らん取られじの心計りにて百姓に非道をするやからも之あれとも、不断に我か住所にて見なれ聞なれする時は愛憐の心も自然と生し、如何様の人にても百姓をさのみ惨くはせぬこと是亦人情なり、武家を知行所に差置くこと斯の如く徳ありて甚た宜しきことなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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