政談 / 戶籍の事
さて治めの筋に心を入るゝと云ふは其の品數多きことなれども、要をたゞしていはゞ田舍は農業、御城下は工商の業を務めぬものゝなきやうにすることこれ第一なり、一人も家業を勤めぬものなきとき人の心皆實に返る故、萬の惡事は皆これより消え行くことなり、根本を忘れて末にて惡事を抑へんとしても、何程才智の人なりとも其の才智行屆かさることなり、左れはしまうた屋なと云ふようなるもの工商の業を務めす、たゝ町屋敷のかげにて渡世をし、剩へ己は其町屋敷には居す、家守と云ふものを拵へ置き、奉行所へもそれを出し安樂に耽るを、俗眼には何の害もなきことのやうに思へとも風俗の上甚た宜しからさることなり、何れも己れか町屋敷に居住して何にても工商の業を務めさすへし、田舍にても大百姓の農業をせず田地を皆小作に作らせ、其身は江戶のしもふた屋の眞似するもの近年は多くなる、此等も皆禁制すへきことなり、又其の家業を務むると云ふにも當時は種々の惡事を家業と覺え居るもの多し、兎角實なる筋の家業を務めさするやうにすへきことなり、
新字:さて治めの筋に心を入るゝと云ふは其の品数多きことなれども、要をたゞしていはゞ田舎は農業、御城下は工商の業を務めぬものゝなきやうにすることこれ第一なり、一人も家業を勤めぬものなきとき人の心皆実に返る故、万の悪事は皆これより消え行くことなり、根本を忘れて末にて悪事を抑へんとしても、何程才智の人なりとも其の才智行届かさることなり、左れはしまうた屋なと云ふようなるもの工商の業を務めす、たゝ町屋敷のかげにて渡世をし、剰へ己は其町屋敷には居す、家守と云ふものを拵へ置き、奉行所へもそれを出し安楽に耽るを、俗眼には何の害もなきことのやうに思へとも風俗の上甚た宜しからさることなり、何れも己れか町屋敷に居住して何にても工商の業を務めさすへし、田舎にても大百姓の農業をせず田地を皆小作に作らせ、其身は江戸のしもふた屋の真似するもの近年は多くなる、此等も皆禁制すへきことなり、又其の家業を務むると云ふにも当時は種々の悪事を家業と覚え居るもの多し、兎角実なる筋の家業を務めさするやうにすへきことなり、
書き下し
さて治めの筋に心を入るゝと云ふは其の品数多きことなれども、要をたゞしていはゞ田舎は農業、御城下は工商の業を務めぬものゝなきやうにすることこれ第一なり、一人も家業を勤めぬものなきとき人の心皆実に返る故、万の悪事は皆これより消え行くことなり、根本を忘れて末にて悪事を抑へんとしても、何程才智の人なりとも其の才智行届かさることなり、左れはしまうた屋なと云ふようなるもの工商の業を務めす、たゝ町屋敷のかげにて渡世をし、剰へ己は其町屋敷には居す、家守と云ふものを拵へ置き、奉行所へもそれを出し安楽に耽るを、俗眼には何の害もなきことのやうに思へとも風俗の上甚た宜しからさることなり、何れも己れか町屋敷に居住して何にても工商の業を務めさすへし、田舎にても大百姓の農業をせず田地を皆小作に作らせ、其身は江戸のしもふた屋の真似するもの近年は多くなる、此等も皆禁制すへきことなり、又其の家業を務むると云ふにも当時は種々の悪事を家業と覚え居るもの多し、兎角実なる筋の家業を務めさするやうにすへきことなり、
現代語訳
さて治めの筋に心を入れるというのは、その品数は多いけれども、要点を正していえば、田舎は農業、御城下は工商の業を務めない者がいないようにすることが第一である。一人も家業を務めない者がいないとき、人の心はみな実に返るので、あらゆる悪事はみなここから消えてゆくのである。根本を忘れて末で悪事を抑えようとしても、どれほど才智のある人でも、その才智は行き届かないのである。だから、しもうた屋などというような者が工商の業を務めず、ただ町屋敷の家賃収入で暮らし、そのうえ自分はその町屋敷には住まず、家守というものをこしらえておき、奉行所へもそれを出して安楽にふけるのを、世俗の目には何の害もないことのように思うが、風俗のうえではなはだよくないことである。誰でも自分の町屋敷に住んで、何でも工商の業を務めさせるべきである。田舎でも大百姓が農業をせず、田地をみな小作に作らせ、その身は江戸のしもうた屋の真似をする者が近年は多くなった。これらもみな禁制すべきことである。また、その家業を務めるといっても、今はさまざまな悪事を家業と心得ている者が多い。とにかく実のある筋の家業を務めさせるようにすべきである。
解説
この章句が説くこと
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