甲陽軍鑑 / 起巻
出家は佛道修行の儀、家職なり、儒者は儒道の義家職也、町人はあきなひ家職なり、百姓は耕作の事、是れ家職也、右之外も、諸藝能、其道々に、我なりたる業に、心がくる事尤也、家職を大形にしてやめて、余の事をいたし、精にいるゝは、大非義也、其非義といふは、出家が、學問をわきへなし、武邊を心がくる儀と、武士が奉公の武道をわきへなし、學問を第一におもひ、或は亂舞にすく事、皆是家職をしらざる儀也、
新字:出家は仏道修行の儀、家職なり、儒者は儒道の義家職也、町人はあきなひ家職なり、百姓は耕作の事、是れ家職也、右之外も、諸芸能、其道々に、我なりたる業に、心がくる事尤也、家職を大形にしてやめて、余の事をいたし、精にいるゝは、大非義也、其非義といふは、出家が、学問をわきへなし、武辺を心がくる儀と、武士が奉公の武道をわきへなし、学問を第一におもひ、或は乱舞にすく事、皆是家職をしらざる儀也、
書き下し
出家は仏道修行の儀、家職なり、儒者は儒道の義家職也、町人はあきなひ家職なり、百姓は耕作の事、是れ家職也、右之外も、諸芸能、其道々に、我なりたる業に、心がくる事尤也、家職を大形にしてやめて、余の事をいたし、精にいるゝは、大非義也、其非義といふは、出家が、学問をわきへなし、武辺を心がくる儀と、武士が奉公の武道をわきへなし、学問を第一におもひ、或は乱舞にすく事、皆是家職をしらざる儀也、
現代語訳
出家は仏道修行の儀が家職である。儒者は儒道の義が家職である。町人は商いが家職である。百姓は耕作の事、これが家職である。この他も諸芸能、その道々に、自分がなっている業に心がけるのがもっともである。家職をおおかたにしてやめ、余の事をして精を入れるのは大非義である。その非義というのは、出家が学問を脇にして武辺を心がける事と、武士が奉公の武道を脇にして学問を第一に思い、あるいは乱舞を好む事、みなこれは家職を知らない儀である。
解説
この章句が説くこと
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『管子』五輔曰く、壙を實たし虛を墾き田疇し、墻屋を修むれば、則ち國家富む。飲食を節し、衣服を撙すれば、則ち財用足る。賢良を舉げ、功勞に務め、德惠を布けば、則ち賢人進む。姦人を逐い、詐偽を詰り、讒慝を去れば、則ち姦人止む。飢饉を修め、災害を救い、罷露を賑わせば、則ち國家定まる。明王の務は、本事を強くし、無用を去るに在り、然る後に民をして富ましむ可し。賢人を論じ、有能を用いて、民をして治めしむ可し。稅斂を薄くし、民に苟くもする毋く、待つに忠愛を以てして、民をして親しましむ可し。三つの者は、霸王の事なり。事に本有り、而して仁義は其の要なり。今工は以て巧なり、而して民の備用に足らざる者は、其の悅び玩好に在ればなり。農は以て勞す、而して天下飢うる者は、其の悅び珍怪に在り、方丈前に陳ぬればなり。女は以て巧なり、而して天下寒き者は、其の悅び文繡に在ればなり。是の故に博帶は棃かれ大袂は列たれ、文繡は染められ、刻鏤は削られ、雕琢は采られ、關は幾して征せず、市して稅せず。古の良工は、其の知巧を勞して以て玩好を為さず。是の故に無用の物は、法を守る者は失わず。
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