政談 / 出替り奉公人の締りの事
當時出替り奉公人欠落取迯げ多くして人々難義致し候、此以前は給金並に取迯の品々引負ひの金高までを受人にかゝり、其受人又欠落すれば受人の地主へ掛る事故人召使ふものゝためはよけれども、付送りなどゝ申すやうなる惡事はやりて町の家持難義したり、當時は受人の身代切と云ふことになりたる故、受人奉公人と申し合せ同時に欠落し、受人の家内のものをば兼て外へ運出し、後には鍋一つ名號一幅遺し置きたると申すやうなることなり、人を受人の身代きりにさばきてあとを闕所するときいたつらものゝなかまふたを入れて殊のほか下直にかひとるゆゑ、その身代切と云ふはわづかに鳥目百か二百のことなるを其主人へわたし、給金も取り迯けもみな損になる、偖受人いづ方にても店持ち居たるを見は申し出べし、殘りは其の節取りたてとらすべしなどゝ奉行より其主人へ申し渡し、惣して人召使ふもの其受人を見知り申すべきやうなきをしりつゝ斯の如く奉行の取りさばくことあるまじきことなるやうなれども、只あつかひにこまりてのことゝ見えたり、
新字:当時出替り奉公人欠落取迯げ多くして人々難義致し候、此以前は給金並に取迯の品々引負ひの金高までを受人にかゝり、其受人又欠落すれば受人の地主へ掛る事故人召使ふものゝためはよけれども、付送りなどゝ申すやうなる悪事はやりて町の家持難義したり、当時は受人の身代切と云ふことになりたる故、受人奉公人と申し合せ同時に欠落し、受人の家内のものをば兼て外へ運出し、後には鍋一つ名号一幅遺し置きたると申すやうなることなり、人を受人の身代きりにさばきてあとを闕所するときいたつらものゝなかまふたを入れて殊のほか下直にかひとるゆゑ、その身代切と云ふはわづかに鳥目百か二百のことなるを其主人へわたし、給金も取り迯けもみな損になる、偖受人いづ方にても店持ち居たるを見は申し出べし、残りは其の節取りたてとらすべしなどゝ奉行より其主人へ申し渡し、惣して人召使ふもの其受人を見知り申すべきやうなきをしりつゝ斯の如く奉行の取りさばくことあるまじきことなるやうなれども、只あつかひにこまりてのことゝ見えたり、
書き下し
当時出替り奉公人欠落取迯げ多くして人々難義致し候、此以前は給金並に取迯の品々引負ひの金高までを受人にかゝり、其受人又欠落すれば受人の地主へ掛る事故人召使ふものゝためはよけれども、付送りなどゝ申すやうなる悪事はやりて町の家持難義したり、当時は受人の身代切と云ふことになりたる故、受人奉公人と申し合せ同時に欠落し、受人の家内のものをば兼て外へ運出し、後には鍋一つ名号一幅遺し置きたると申すやうなることなり、人を受人の身代きりにさばきてあとを闕所するときいたつらものゝなかまふたを入れて殊のほか下直にかひとるゆゑ、その身代切と云ふはわづかに鳥目百か二百のことなるを其主人へわたし、給金も取り迯けもみな損になる、偖受人いづ方にても店持ち居たるを見は申し出べし、残りは其の節取りたてとらすべしなどゝ奉行より其主人へ申し渡し、惣して人召使ふもの其受人を見知り申すべきやうなきをしりつゝ斯の如く奉行の取りさばくことあるまじきことなるやうなれども、只あつかひにこまりてのことゝ見えたり、
現代語訳
いま出替り奉公人(年季で雇い替わる奉公人)の欠け落ち(逃亡)や取り逃げが多く、人々が難儀している。以前は、給金や取り逃げした品々、使い込みの金額までを請人(保証人)に負わせ、その請人もまた欠け落ちすれば請人の地主に負わせたので、人を召し使う者のためにはよかったが、「付け送り」などという悪事がはやって町の家持ちが難儀した。今は請人の身代切り(財産を差し押さえて弁済に充てること)ということになったので、請人が奉公人と申し合わせて同時に欠け落ちし、請人の家財はかねて外へ運び出しておき、後には鍋一つと名号の掛け軸一幅を残しておいた、というようなことである。請人を身代切りに裁いて財産を没収すると、ならず者の仲間が入札して殊のほか安く買い取るので、その身代切りというのはわずか銭百か二百文のことで、それを主人に渡し、給金も取り逃げもみな損になる。さて、請人がどこかで店を持っているのを見つけたら申し出よ、残りはその時に取り立ててやろう、などと奉行から主人へ申し渡す。総じて人を召し使う者がその請人の顔を知るはずがないのを承知のうえで、このように奉行が取りさばくのはあってはならないことのようだが、ただ扱いに困ってのことと見える。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰く、「賜や、爾は其の羊を愛しむ、我は其の礼を愛しむ。」
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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