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政談 / 江戶町中並に武家屋敷の締りの事

さてまた與力同心の御あてがひ僅かのことなり、昔は是にても渡世こゝろやすかりけれども、近年世上ものごとに高直になり面々の渡世難義にて、同心のたぐひは御あてがひにて妻子を養ふことならず、何れも樣々の細工をして賣り、それを御あてがひに合はせて妻子を養ひ、家を持ち、やう〳〵に御番を務む、其御番と云ふは一ケ月に三日ほどのことなり、夫を務むるさへ斯の如し、然るに僅かに一組か二組にて盜賊を捕ふる故、毎日晝夜與力同心所々をまはる、外へ出ることなれは、衣服も家に居るとは違ふなり、草履草鞋辨當の物入り必らずあることなり、細工をすべきひまはなし、御あてがひは足らず、何を以て父母妻子をば養ふべき、左樣のものに刑罰の權をあづくる故、如何やうなる人を盜賊奉行にしても、其組のものに末々までわたくしをせざる仕方はなしがたきことなり、是れ上に立ちたる重役の面々みな大名にて生れながら富貴なる上人なる故、何ほどの才智ありとも下の情にうとく、下の渡世のほどをも知らず、學問もなければ、和漢の古法をも考へ合はすべきやうもなければ、唯古きかたばかりにて執行ふこと理のつまる所無理なる仕方と云ふものになることを知らぬなり、

新字:さてまた与力同心の御あてがひ僅かのことなり、昔は是にても渡世こゝろやすかりけれども、近年世上ものごとに高直になり面々の渡世難義にて、同心のたぐひは御あてがひにて妻子を養ふことならず、何れも様々の細工をして売り、それを御あてがひに合はせて妻子を養ひ、家を持ち、やう〳〵に御番を務む、其御番と云ふは一ケ月に三日ほどのことなり、夫を務むるさへ斯の如し、然るに僅かに一組か二組にて盗賊を捕ふる故、毎日昼夜与力同心所々をまはる、外へ出ることなれは、衣服も家に居るとは違ふなり、草履草鞋弁当の物入り必らずあることなり、細工をすべきひまはなし、御あてがひは足らず、何を以て父母妻子をば養ふべき、左様のものに刑罰の権をあづくる故、如何やうなる人を盗賊奉行にしても、其組のものに末々までわたくしをせざる仕方はなしがたきことなり、是れ上に立ちたる重役の面々みな大名にて生れながら富貴なる上人なる故、何ほどの才智ありとも下の情にうとく、下の渡世のほどをも知らず、学問もなければ、和漢の古法をも考へ合はすべきやうもなければ、唯古きかたばかりにて執行ふこと理のつまる所無理なる仕方と云ふものになることを知らぬなり、

書き下し

さてまた与力同心の御あてがひ僅かのことなり、昔は是にても渡世こゝろやすかりけれども、近年世上ものごとに高直になり面々の渡世難義にて、同心のたぐひは御あてがひにて妻子を養ふことならず、何れも様々の細工をして売り、それを御あてがひに合はせて妻子を養ひ、家を持ち、やう〳〵に御番を務む、其御番と云ふは一ケ月に三日ほどのことなり、夫を務むるさへ斯の如し、然るに僅かに一組か二組にて盗賊を捕ふる故、毎日昼夜与力同心所々をまはる、外へ出ることなれは、衣服も家に居るとは違ふなり、草履草鞋弁当の物入り必らずあることなり、細工をすべきひまはなし、御あてがひは足らず、何を以て父母妻子をば養ふべき、左様のものに刑罰の権をあづくる故、如何やうなる人を盗賊奉行にしても、其組のものに末々までわたくしをせざる仕方はなしがたきことなり、是れ上に立ちたる重役の面々みな大名にて生れながら富貴なる上人なる故、何ほどの才智ありとも下の情にうとく、下の渡世のほどをも知らず、学問もなければ、和漢の古法をも考へ合はすべきやうもなければ、唯古きかたばかりにて執行ふこと理のつまる所無理なる仕方と云ふものになることを知らぬなり、

現代語訳

さてまた与力・同心の手当てはわずかである。昔はこれでも暮らしは気楽だったが、近年は世の中の物がみな値上がりして、各自の暮らしが苦しく、同心の類は手当てだけでは妻子を養えない。誰もがさまざまな細工物を作って売り、それを手当てと合わせて妻子を養い、家を持ち、ようやくご番を務めている。そのご番というのは一か月に三日ほどのことである。それを務めるのでさえこのありさまである。ところが、わずか一組か二組で盗賊を捕らえるので、毎日昼夜、与力・同心があちこちを見回る。外へ出るのだから、衣服も家にいる時とは違う。草履・草鞋・弁当の出費も必ずある。細工をする暇はない。手当ては足りない。何によって父母妻子を養えというのか。そのような者に刑罰の権限を預けるのだから、どのような人を盗賊奉行にしても、その組の者に末々まで私曲をさせないやり方は、なかなかできないことである。これは上に立つ重役の面々がみな大名で、生まれながらに富貴な上つ方なので、どれほど才智があっても下の事情にうとく、下の暮らしぶりも知らず、学問もないので和漢の古法を考え合わせることもできず、ただ古いやり方ばかりで執り行うことが、つまるところ無理なやり方になるのを知らないからである。

解説

現場の与力・同心は物価高で手当てだけでは妻子を養えず、内職で何とかしのいでいる。そこへ連日の見回りを課せば内職の暇もなく、出費だけが増える。その窮した者に刑罰の権を預ければ、不正が起こるのは当然だと徂徠は言う。さらに矛先を重役に向け、生まれながらの富貴で下の暮らしを知らず、学問もなく古法も知らないから、無理な仕組みを無理と気づかないと断じる。報酬と職務の釣り合いを見ずに倫理だけを求める組織は今もある。現場の生活感覚を知らない設計者の危うさを突いた一節である。

この章句が説くこと

報酬現場物価重役学問下の情

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