武士道 / 第十六章 武士道の命脈・七百年に蓄積したる動量
其メーソニツク、サイン明亮なることは、個々の間晴號を有せずして、尙は能く直もに感通するを得るに足るものあり』となす。武士道の我國民特に士林に印象したる性格は之を以て種屬の具有する不變の要素を形成するものなりと稱するを得ずと雖、尙ほ之れが活力を保有せることは復た疑を容れず。武士道若し唯だ物理力に過きずとすとも、尙ほ既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道は唯だ遺傳によりてのみ繼承したりとすとも、其感化の範圍は、頗る廣大ならずんばあらず。試みに思へ、佛國經濟學者ケソン氏が、假に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千萬人の血液を傳ふるものなり』と云へるを。
新字:其メーソニツク、サイン明亮なることは、個々の間晴号を有せずして、尚は能く直もに感通するを得るに足るものあり』となす。武士道の我国民特に士林に印象したる性格は之を以て種属の具有する不変の要素を形成するものなりと称するを得ずと雖、尚ほ之れが活力を保有せることは復た疑を容れず。武士道若し唯だ物理力に過きずとすとも、尚ほ既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道は唯だ遺伝によりてのみ継承したりとすとも、其感化の範囲は、頗る広大ならずんばあらず。試みに思へ、仏国経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千万人の血液を伝ふるものなり』と云へるを。
書き下し
其メーソニック・サイン明亮なることは、個々の間、暗号を有せずしてなお能く直ちに感通するを得るに足るものあり、となす。武士道の我国民、特に士林に印象したる性格は、之を以て種属の具有する不変の要素を形成するものなりと称するを得ずと雖、なお之れが活力を保有せることは、復た疑を容れず。武士道もしただ物理力に過ぎずとすとも、なお既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道はただ遺伝によりてのみ継承したりとすとも、其感化の範囲はすこぶる広大ならずんばあらず。試みに思へ、仏国経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千万人の血液を伝ふるものなり』と云へるを。
現代語訳
その結社のしるしが明らかであることは、個々の間に暗号がなくても、なおただちに通じ合えるだけのものがある、とします。武士道がわが国民、とくに武士の階層に刻んだ性格を、種に備わる不変の要素を成すものだと言うことはできませんが、なおそれが活力を保っていることは疑いようがありません。武士道がたとえ物理的な力にすぎないとしても、過去七百年の間に蓄積した運動量は、突然止まることはできません。武士道が遺伝によってのみ受け継がれたとしても、その感化の範囲はかなり広大なはずです。試みに考えてみてください。フランスの経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代として計算すれば、私たちはそれぞれ自分の血管の中に、紀元一〇〇〇年に生きていた少なくとも二千万人の血を伝えている、と言ったことを。
解説
この章句が説くこと
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説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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