呂氏春秋 / 期賢①
今夫爚蟬者,務在乎明其火,振其樹而已。火不明,雖振其樹,何益?明火不獨在乎火,在於闇。當今之時世闇甚矣,人主有能明其德者,天下之士,其歸之也,若蟬之走明火也。凡國不徒安,名不徒顯,必得賢士。
新字:今夫爚蝉者,務在乎明其火,振其樹而已。火不明,雖振其樹,何益?明火不独在乎火,在於闇。当今之時世闇甚矣,人主有能明其徳者,天下之士,其帰之也,若蝉之走明火也。凡国不徒安,名不徒顕,必得賢士。
書き下し
今、夫れ蝉を爚らす者は、務、其の火を明らかにし、其の樹を振るうに在るのみ。火明るからずんば、其の樹を振るうと雖も、何ぞ益せん。火を明らかにするは獨り火に在るのみならず。闇きに在り。當今の時、世闇きこと甚だし。人主能く其の德を明らかにする者有れば、天下の士、其の之に歸するや、蟬の明火に走るが若きなり。凡そ國は徒らに安からず、名は徒らに顯われず。必ず賢士を得ればなり。
現代語訳
蝉を火で照らして捕る者は、その火を明るくし、木を揺すぶることに努めるだけだ。火が明るくなければ、木を揺すっても何の役に立とうか。火を明るくするには、火だけでなく周囲の暗さも要る。今の世は暗さがはなはだしい。だから君主の中に自らの徳を明らかにできる者がいれば、天下の士がそこへ帰していくさまは、蝉が明るい火に向かって集まるようなものだ。およそ国はただ安らかであるのではなく、名声はただ現れるのでもない。必ず賢士を得てこそである。
解説
賢士を集めるには君主が徳を明らかにすべきだと、蝉取りの比喩で説く章の序です。夜に蝉を捕るには火を明るくし木を揺する。だが火が生きるのは周囲が暗いからで、明暗の対比があってこそ蝉は火に集まります。乱れて暗い世であればこそ、徳を輝かせる君主のもとへ賢士が吸い寄せられるというのです。人材は強引に集めるものではなく、こちらが魅力を放てば自然に集まります。混迷の時代ほど、明確な理念や誠実さを掲げる組織に人が集まる、という普遍的な求心力の原理を示しています。
この章句が説くこと
期賢徳賢士蝉と火の比喩求心力乱世
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