呂氏春秋 / 爲欲④
凡治國令其民爭行義也,亂國令其民爭為不義也;彊國令其民爭樂用也,弱國令其民爭競不用也。夫爭行義樂用與爭為不義競不用,此其為禍福也,天不能覆,地不能載。晉文公伐原,與士期七日,七日而原不下,命去之。謀士言曰:「原將下矣。」師吏請待之。公曰:「信,國之寶也。得原失寶,吾不為也。」遂去之。明年復伐之,與士期必得原然後反,原人聞之乃下。衛人聞之,以文公之信為至矣,乃歸文公。故曰「攻原得衛」者,此之謂也。文公非不欲得原也,以不信得原,不若勿得也,必誠信以得之,歸之者非獨衛也。文公可謂知求欲矣。
新字:凡治国令其民争行義也,乱国令其民争為不義也;彊国令其民争楽用也,弱国令其民争競不用也。夫争行義楽用与争為不義競不用,此其為禍福也,天不能覆,地不能載。晋文公伐原,与士期七日,七日而原不下,命去之。謀士言曰:「原将下矣。」師吏請待之。公曰:「信,国之宝也。得原失宝,吾不為也。」遂去之。明年復伐之,与士期必得原然後反,原人聞之乃下。衛人聞之,以文公之信為至矣,乃帰文公。故曰「攻原得衛」者,此之謂也。文公非不欲得原也,以不信得原,不若勿得也,必誠信以得之,帰之者非独衛也。文公可謂知求欲矣。
書き下し
凡そ國を治むるは、其の民をして爭いて義行わしめ、亂國は其の民をして爭いて不義を為さしむるなり。彊國は其の民をして爭いて用いらるるを樂しましめ、弱國は其の民をして爭いて用いられざるを競わしむ。夫れ爭いて義を行いて用いらるるを樂しむと、爭いて不義を為して用いられざるを競うとは、此れ其の禍福為ることは、天覆うこと能わず、地載すること能わず。晉の文公、原を伐ち、士と七日を期す。七日して原下らず。命じて之を去らしめんとす。謀士言いて曰く、「原將に下らんとす。」師吏、之を待たんことを請う。公曰く、「信は、國の寶なり。原を得て寶を失うは、吾為さざるなり。」遂に之を去る。明年復た之を伐ち、士と必ず原を得て然る後反らんことを期す。原人之を聞き乃ち下る。衛人之を聞き、文公の信を以て至れりと為し、乃ち文公に歸す。故に、原を攻めて衛を得たりと曰うは、此の謂なり。文公は原を得ることを欲せざるに非ざるなり。不信を以て原を得るは、得ること勿きに若かざればなり。必ず誠信にして以て之を得れば、之に歸する者は獨り衛のみに非ざるなり。文公は欲を求むることを知れりと謂う可し。
現代語訳
およそ治まった国は民に競って義を行わせ、乱れた国は民に競って不義を行わせる。強い国は民に競って用いられることを楽しませ、弱い国は民に競って用いられまいと張り合わせる。競って義を行い用いられるのを楽しむのと、競って不義を行い用いられまいと張り合うのとでは、その禍福の大きさは、天も覆いきれず地も載せきれないほどだ。晋の文公が原を攻めたとき、兵士たちと七日の期限を約束した。七日たっても原は落ちず、文公は撤退を命じようとした。参謀が「原はまもなく落ちます」と言い、軍吏も待つよう願った。だが文公は「信義は国の宝だ。原を得て宝を失うのは、私はしない」と言い、ついに撤退した。翌年ふたたび原を攻め、必ず原を落としてから帰ると兵士と約束した。原の人はこれを聞いて降伏した。衛の人もこれを聞き、文公の信義は極まったと考えて文公に帰服した。だから「原を攻めて衛を得た」というのはこのことである。文公は原を得たくなかったのではない。不信によって原を得るのは、得ないほうがましだと考えたのだ。必ず誠実な信義によって得れば、帰服する者は衛だけにとどまらない。文公は欲を正しく追い求める道を知っていたといえる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・憲問篇子曰く、『詐を逆(むか)えず、不信を億(はか)らず。抑も亦た先覚なる者、是れ賢か。』
-
言志四録・南洲手抄信上下に孚す、天下甚だ処し難き事無し。
-
史記 魯仲連鄒陽列伝鄒陽は、斉人なり。梁に游び、故の呉人荘忌夫子・淮陰の枚生の徒と交はる。書を上りて羊勝・公孫詭の間に介す。勝等鄒陽を嫉み、之を梁の孝王に悪す。孝王怒り、之を吏に下し、将に之を殺さんと欲す。鄒陽客游して、讒を以て禽へらる。死して負累せんことを恐れ、乃ち獄中より書を上りて曰く、臣聞く、忠は報いられざる無く、信は疑はれずと。臣常に以て然りと為せしも、徒だ虚語のみ。昔者、荊軻は燕丹の義を慕ひ、白虹日を貫くも、太子之を畏る。衛先生は秦の為に長平の事を画し、太白昴を蝕すも、昭王之を疑ふ。夫れ精は天地を変ずるも、信は両主に喩らず。豈に哀しからずや。今、臣忠を尽くし誠を竭くし、議を畢くして知られんことを願ふも、左右明らかならず、卒に吏の訊に従ひ、世の疑ふ所と為る。是れ荊軻・衛先生をして復た起たしむるも、燕・秦悟らざるなり。願はくは大王孰く之を察せよ。昔、卞和宝を献じて、楚王之を刖る。李斯忠を竭くして、胡亥極刑にす。是を以て箕子は詳り狂ひ、接輿は世を辟く。此の患に遭はんことを恐るればなり。願はくは大王、卞和・李斯の意を孰察して、楚王・胡亥の聴を後にし、臣をして箕子・接輿の笑ふ所と為らしむる無かれ。臣聞く、比干は心を剖かれ、子胥は鴟夷せらると。臣始め信ぜざりしも、乃ち今之を知る。願はくは大王孰察して、少しく憐れみを加へよ。諺に曰く、「白頭にして新たなるが如き有り、傾蓋にして故きが如し」と。何となれば、知ると知らざるとなり。故に昔、樊於期は秦を逃れて燕に之き、首を荊軻に藉して以て丹の事を奉ず。王奢は斉を去りて魏に之き、城に臨みて自剄し、以て斉を卻けて魏を存す。夫れ王奢・樊於期は、斉・秦に新たにして燕・魏に故きに非ざるなり。二国を去りて両君に死する所以の者は、行ひ志に合ひて義を慕ふこと窮まり無ければなり。是を以て蘇秦は天下に信ぜられざるも、燕の為に尾生たり。白圭は戦ひて六城を亡ふも、魏の為に中山を取る。何となれば、誠に以て相知る有ればなり。
-
『酔古堂剣掃』集醒・易く信ずる者は必ず易く疑ふ輕く與ふる者は必ず濫りに取り、易く信ずる者は必ず易く疑ふ。
-
史記 范雎蔡沢列伝卒に范睢の謀を聴き、五大夫綰をして魏を伐たしめ、懐を抜く。後二歳、邢丘を抜く。客卿范睢また昭王に説きて曰く、「秦・韓の地形は、相錯はること繡の如し。秦の韓有るや、譬へば木の蠹有るが如く、人の心腹の病有るがごときなり。天下変無くんば則ち已む、天下変有らば、その秦の患ひと為る者、孰か韓より大ならんや。王は韓を収むるに如かず」と。昭王曰く、「吾固より韓を収めんと欲す、韓聴かず、これを為すこと柰何」と。対へて曰く、「韓安んぞ聴くこと無きを得んや。王、兵を下して滎陽を攻めば、則ち鞏・成皋の道通ぜず。北のかた太行の道を断たば、則ち上党の師下らず。王一たび兵を興して滎陽を攻めば、則ちその国断たれて三と為らん。夫れ韓は必ず亡ぶるを見ば、安んぞ聴かざるを得んや。若し韓聴かば、而して霸事因りて慮るべし」と。王曰く、「善し」と。且に使ひを韓に発せんとす。范睢日に益々親しまれ、また説きて用ひらるること数年、因りて閒を請ひて説きて曰く、「臣山東に居りし時、斉の田文有るを聞きて、その王有るを聞かず。
-
言志四録・南洲手抄信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る