呂氏春秋 / 去尤①
世之聽者,多有所尤,多有所尤則聽必悖矣。所以尤者多故,其要必因人所喜,與因人所惡。東面望者不見西牆,南鄉視者不睹北方,意有所在也。
新字:世之聴者,多有所尤,多有所尤則聴必悖矣。所以尤者多故,其要必因人所喜,与因人所悪。東面望者不見西牆,南郷視者不睹北方,意有所在也。
書き下し
世の聽く者は、多く尤せらるる所有り。尤せらるる所有れば、則ち聽くこと必ず悖る。尤せらるる所以の者は故多く、其の要は必ず人の喜ぶ所に因り、與び人の惡む所に因る。東面して望む者は西牆を見ず、南に嚮いて視る者は北方を睹ず。意在る所有ればなり。
現代語訳
世間で人の言葉を聞く者は、多く何かにとらわれている。とらわれがあれば、聞き取りは必ず誤る。とらわれの原因はさまざまだが、その要は、人が好むものに引きずられ、また人が憎むものに引きずられることにある。東を向いて眺める者は西の壁が見えず、南を向いて見る者は北方が目に入らない。心の関心が一方に偏っているからである。
解説
この段は去尤篇の総論で、人が言葉を聞くときに陥る尤すなわちとらわれを論じます。好き嫌いの感情に心が偏ると、正しく聞き取れず判断を誤るというのです。東を向けば西の壁が見えず、南を向けば北が目に入らない、という比喩が、関心の偏りが視野を狭める様子を鮮やかに示します。呂氏春秋は、認識の歪みが好悪という主観から生じることを見抜きました。先入観や感情のバイアスが事実を曇らせるというこの洞察は、現代の認知バイアスや傾聴の技術にそのまま通じ、公正に物事を受け取るための普遍的な戒めとなっています。
この章句が説くこと
去尤とらわれ好悪偏見認識の歪み傾聴
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