呂氏春秋 / 先己⑤
孔子見魯哀公,哀公曰:「有語寡人曰:『為國家者,為之堂上而已矣。』寡人以為迂言也。」孔子曰:「此非迂言也。丘聞之:『得之於身者得之人,失之於身者失之人。』不出於門戶而天下治者,其惟知反於己身者乎!」
新字:孔子見魯哀公,哀公曰:「有語寡人曰:『為国家者,為之堂上而已矣。』寡人以為迂言也。」孔子曰:「此非迂言也。丘聞之:『得之於身者得之人,失之於身者失之人。』不出於門戸而天下治者,其惟知反於己身者乎!」
書き下し
孔子、魯の哀公に見ゆ。哀公曰く、「寡人に語る有りて曰く、『國家を為むる者は、之を堂上に為むるのみ。』寡人以て迂言と為せり。」孔子曰く、「此れ迂言に非ざるなり。丘之を聞けり、『之を身に得る者は、之を人に得、之を身に失う者は、之を人に失う。』門戶を出でずして天下治まるとは、其れ唯だ己が身に反ることを知る者か。」
現代語訳
孔子が魯の哀公に謁見した。哀公が言った。「わたしにこう語った者がいた。『国家を治める者は、御殿の上(自分の身近な所)で治めるだけだ』と。わたしはまわりくどく役に立たない言葉だと思った。」孔子は答えた。「これはまわりくどい言葉ではありません。わたしはこう聞いています。『自分の身において(省みて)会得する者は他人からも得られ、自分の身において失う者は他人からも失う』と。門戸を出ないで天下が治まるというのは、ただ自分自身に立ち返ることを知る者のことでしょう。」
解説
孔子と魯の哀公の問答で、篇の主題を締めくくります。哀公が「国家統治は御殿の上でするだけ」という言葉を役立たずと退けたのに対し、孔子は、自分の身で会得できる者は人からも得られ、身で失う者は人からも失うと説き、門を出ずに天下が治まるのは我が身に立ち返れる者だけだと答えます。統治の出発点は外の制度でなく為政者自身の内面にあるという「先己」篇の核心です。現代でも、組織や社会を変えたいならまず自分の在り方を省みることから始めよという教えは、リーダーの自己省察の重要性として今日にそのまま通じます。
この章句が説くこと
孔子魯哀公迂言反於己身修身統治
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