論衡 / 『論衡』自紀篇第八十五・目立つ者は中傷も受ける
不清不見塵、不高不見危、不廣不見削、不盈不見虧。士茲多口、為人所陷、蓋亦其宜。好進故自明、憎退故自陳。吾無好憎、故默無言。
新字:不清不見塵、不高不見危、不広不見削、不盈不見虧。士茲多口、為人所陥、蓋亦其宜。好進故自明、憎退故自陳。吾無好憎、故黙無言。
書き下し
清からざれば塵を見ず、高からざれば危うきを見ず、広からざれば削らるるを見ず、盈たざれば虧くるを見ず。士は茲に口多く、人の陥るる所と為るは、蓋し亦た其の宜なり。進むを好む故に自ら明らかにし、退くを憎む故に自ら陳ぶ。吾に好憎無し、故に黙して言う無し。
現代語訳
清らかでなければ塵は目立たず、高くなければ危うさも目立たず、広くなければ削られることもなく、満ちていなければ欠けることもありません。士はこの世で口さがない人々に囲まれ、人に陥れられるのも、もっともなことです。出世を望む者は自分の潔白をはっきり申し立て、退くことを嫌う者は自分から弁明します。私にはそのような好き嫌いがありません。だから黙って何も言わないのです。
解説
自紀篇は王充の自伝です。同僚に中傷されても弁明しないのはなぜかと問われ、彼はこう答えます。清く高く広く満ちているからこそ、塵や危うさ、削られること、欠けることが目立つのだ、と。出世を望む者は弁明するが、自分には執着がないので黙っているというのが王充の姿勢です。今の職場なら、誤解を受けたときに反論するか静観するか、悩む場面に重なります。弁明すべき局面を見極める判断と、自分は何にこだわるのかという軸を問い直すきっかけになります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
中傷弁明清高執着自紀
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