論衡 / 『論衡』自紀篇第八十五・才能と巡り合わせの別
且達者未必知、窮者未必愚。遇者則得、不遇失之。故夫命厚祿善、庸人尊顯;命薄祿惡、奇俊落魄。比以偶合稱材量德、則夫專城食土者、材賢孔、墨。身貴而名賤、則居潔而行墨。
新字:且達者未必知、窮者未必愚。遇者則得、不遇失之。故夫命厚禄善、庸人尊顕;命薄禄悪、奇俊落魄。比以偶合称材量徳、則夫専城食土者、材賢孔、墨。身貴而名賤、則居潔而行墨。
書き下し
且つ達する者は未だ必ずしも知ならず、窮する者は未だ必ずしも愚ならず。遇う者は則ち得、遇わざる者は之を失う。故に夫れ命厚く禄善き者は、庸人も尊顕し、命薄く禄悪しき者は、奇俊も落魄す。偶合を以て材を称し徳を量るに比せば、則ち夫の城を専らにし土を食む者は、材は孔・墨に賢れり。身貴くして名賤しければ、則ち居は潔くして行は墨なり。
現代語訳
そのうえ、出世した人が必ず賢いわけではなく、行き詰まった人が必ず愚かなわけでもありません。時勢に遇った者は得られ、遇わなかった者は失います。ですから運命が厚く俸禄に恵まれた者は、凡人でも尊ばれ高い地位につき、運命が薄く俸禄に恵まれない者は、傑出した人でも落ちぶれます。もし、巡り合わせがうまくいったかどうかで才能や徳を測るなら、一城を治めて俸禄を食む者は、才能が孔子や墨子に勝ることになります。身分が高くとも名声が賤しい者は、住まいは潔くても行いは黒いということです。
解説
自紀篇の終わり近く、出世できなかった王充が、官途の不遇を嘲る人に答える場面です。賢さと地位は別であり、世に出られるかどうかは命と巡り合わせに左右されると言います。当時の価値観にたつ論ですが、自分の不遇を才の欠如とは見なさない姿勢の表明でもあります。組織で昇進や評価が思うように進まないとき、それが能力の答えなのか、時と場所の巡り合わせなのかを切り分けて考える助けになります。他人の評価に自分の価値を預けすぎない視点です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
才と遇命不遇出世徳巡り合わせ
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