呻吟語 / 内篇・修身・自ら潔くせずして人之を潔しとす
避嫌者,尋嫌者也;自辯者,自誣者也。心事重門洞達,略不回邪;行事八窗玲瓏,毫無遮障,則見者服,聞者信。稍有不白之誣,將家家為吾稱冤,人人為吾置喙矣。此之謂潔品,不自潔而人潔之。
新字:避嫌者,尋嫌者也;自弁者,自誣者也。心事重門洞達,略不回邪;行事八窗玲瓏,毫無遮障,則見者服,聞者信。稍有不白之誣,将家家為吾称冤,人人為吾置喙矣。此之謂潔品,不自潔而人潔之。
書き下し
嫌ひを避くる者は、嫌ひを尋ぬる者なり。自ら辯ずる者は、自ら誣ふる者なり。心事は重門洞達して、略ぼ回邪ならず。行事は八窗玲瓏として、毫も遮障無くんば、則ち見る者は服し、聞く者は信ず。稍しく白からざるの誣有るも、將に家家吾が為に冤を稱し、人人吾が為に喙を置かんとす。此れを之れ潔品と謂ふ。自ら潔くせずして人之を潔しとするなり。
現代語訳
疑いを避けようとする者は、かえって疑いを呼び寄せます。自分で弁明する者は、かえって自分を汚します。心の内が幾重の門まで見通せて、少しもねじけていない。行いが八方の窓のように透き通って、少しも遮りが無い。そうであれば見た人は納得し、聞いた人は信じます。多少の濡れ衣を着せられても、家々が自分のために冤罪だと言い、人々が自分のために口を添えてくれます。これを潔い品格と言います。自分で潔くするのではなく、人が潔いとしてくれるのです。
解説
身の潔白を守る方法として、弁明ではなく普段の透明さを挙げます。避けようとすれば疑われ、弁明すれば汚れる。代わりに、日ごろから中身が見えていれば、濡れ衣を着せられたときに人のほうが弁護してくれるというのです。自分で潔くするのではなく人に潔いとしてもらう、という結びが要点でしょう。信用は、必要になってから作れないという話でもあります。前の段に弁明すべき場合の議論があり、ここではその前段階の備えが説かれています。
この章句が説くこと
潔白弁明透明信用疑い
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