論衡 / 『論衡』書解篇第八十二・一つに専念すれば他は欠ける
人有所優、固有所劣;人有所工、固有所拙。非劣也、志意不為也、非拙也、精誠不加也。誌有所存、顧不見泰山;思有所至、有身不暇徇也。稱干將之利、刺則不能擊、擊則不能刺、非刃不利、不能一旦二也。
新字:人有所優、固有所劣;人有所工、固有所拙。非劣也、志意不為也、非拙也、精誠不加也。誌有所存、顧不見泰山;思有所至、有身不暇徇也。称干将之利、刺則不能撃、撃則不能刺、非刃不利、不能一旦二也。
書き下し
人に優るる所有れば、固より劣る所有り。人に工なる所有れば、固より拙なる所有り。劣るに非ず、志意の為さざるなり。拙なるに非ず、精誠の加えざるなり。志に存する所有れば、顧みて泰山を見ず。思いの至る所有れば、身有るも徇う暇あらず。干将の利を称するも、刺せば則ち撃つこと能わず、撃てば則ち刺すこと能わず、刃の利ならざるに非ず、一旦に二つなること能わざるなり。
現代語訳
人には優れたところがあれば、当然劣るところもあります。巧みなところがあれば、当然拙いところもあります。劣っているのではなく、そこに志や意が向かなかっただけです。拙いのではなく、真心と精力を注がなかっただけです。心がひとつのことにとどまれば、振り返っても泰山が目に入りません。思いが一点に至れば、自分の身さえ顧みる暇がありません。名剣干将は鋭いと称えられますが、刺そうとすれば打てず、打とうとすれば刺せません。刃が鈍いからではなく、一度に二つのことはできないからです。
解説
書解篇では、著述に打ち込む人は政治の実務ができないのではないか、という批判に王充が答えます。その答えがここです。人に得手不得手があるのは能力の欠如ではなく、意志と精力をどこへ向けたかの違いで、名剣でさえ刺しながら打つことはできないと言います。人材配置にそのまま通じます。苦手に見える分野が、本人の関心と時間の使い方の結果にすぎないこともあります。短所を能力不足と決めつけず、何に注力してきたのかを見る。そこから配置や育成の見直しが始まります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
得手不得手専念志意精誠干将人材配置
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