論衡 / 『論衡』祭意篇第七十七・季子、剣を墓の樹に掛ける
延陵季子過徐、徐君好其劍。季子以當使於上國、未之許與。季子使還、徐君已死、季子解劍帶其冢樹。御者曰:「徐君已死、尚誰為乎?」季子曰:「前已心許之矣。可以徐君死故負吾心乎?」遂帶劍於冢樹而去。
新字:延陵季子過徐、徐君好其剣。季子以当使於上国、未之許与。季子使還、徐君已死、季子解剣帯其冢樹。御者曰:「徐君已死、尚誰為乎?」季子曰:「前已心許之矣。可以徐君死故負吾心乎?」遂帯剣於冢樹而去。
書き下し
延陵の季子、徐を過ぐるに、徐君其の剣を好む。季子、当に上国に使いすべきを以て、未だ之を許与せず。季子、使いして還るに、徐君已に死す。季子、剣を解きて其の冢の樹に帯ぶ。御者曰わく、「徐君已に死せり。尚お誰が為にするか」と。季子曰わく、「前に已に心に之を許せり。徐君の死するを以ての故に吾が心に負くべけんや」と。遂に剣を冢の樹に帯びて去る。
現代語訳
延陵の季子が徐の国に立ち寄ったとき、徐の君主は季子の剣を気に入りました。季子は上国(中原の国々)へ使者として赴く途中だったので、そのときは剣を与えると約束しませんでした。季子が使いを終えて戻ると、徐君はすでに亡くなっていました。季子は剣を解いて、徐君の墓の樹に掛けました。御者が言いました。「徐君はもう亡くなったのに、誰のためにするのですか。」季子は言いました。「以前、すでに心の中で与えると決めていた。徐君が亡くなったからといって、自分の心に背いてよいだろうか。」そうして剣を墓の樹に掛けて去りました。
解説
呉の公子季札が、口に出さなかった約束を、相手の死後に果たした有名な逸話です。王充は、祭祀が死者に享けられるためのものではなく、恩を忘れず義を果たす生者の側の気持ちの表れだと説くために、この話を引きます。誰も見ていない、相手ももういないという場面でも、心に許したことは裏切らない。現代の仕事でも、言葉にしていない約束や、相手が忘れている約束があります。信頼は、見られていない場面での振る舞いで積み上がる、と読み替えられます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
季子徐君剣心許約束報恩
関連する章句
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史記 呉太伯世家季札の初めて使ひするや、北のかた徐君に過る。徐君季札の剣を好むも、口に敢へて言はず。季札心に之を知るも、上国に使ひするが為に、未だ献ぜず。還りて徐に至るに、徐君已に死す。是に於て乃ち其の宝剣を解き、之を徐君の冢樹に系けて去る。従者曰く、「徐君已に死す、尚ほ誰にか予へんや」と。季子曰く、「然らず。始め吾が心已に之を許せり、豈に死を以て吾が心に倍かんや」と。
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『新序』節士第七延陵季子將に西のかた晉に聘せんとす。寶劍を帶して以て徐君に過る。徐君劍を觀て、言わずして色之を欲す。延陵季子上國の使い有るが爲に、未だ獻ぜざるなり。然れども其の心之を許せり。使いを晉に致して、故に反る。則ち徐君楚に死せり。是に於いて劍を脫して之を嗣君に致す。從者之を止めて曰く、此れ吳國の寶なり。贈る所以に非ざるなり、と。延陵季子曰く、吾之を贈るに非ざるなり。先日吾來たるとき、徐君吾が劍を觀て言わずして其の色之を欲す。吾上國の使い有るが爲に、未だ獻ぜざるなり。然りと雖も、吾が心之を許せり。今死して進めざるは、是れ心を欺くなり。劍を愛しみ心を偽るは、廉者は爲さざるなり、と。遂に劍を脫して之を嗣君に致す。嗣君曰く、先君に命無し。孤敢えて劍を受けず、と。是に於いて季子劍を以て徐君の墓樹に帶して去る。徐人嘉して之を歌いて曰く、延陵の季子や故きを忘れず、千金の劍を脫して丘墓に帶す、と。
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『十善法語』巻第四・不妄語戒史記ニ。吳ノ公子季札中国ニ使セシ時。初ニ徐ノ国ニ過ル。徐君季札カ佩タル剣ノ飾調セシヲ見テ。其色ニ求メ欲スル意顕ル。季札此ヲ知テ。劒ヲ与ル意アレトモ。中国ニ使スル時ナレハ。其言ニ発セスシテ去ル。其後中国ノ使ノ事已テ。復徐ニ過ル時。徐ノ君既ニ卒ス。季札ソノ墓処ニ往テ。樹枝ニ劒ヲ掛去シトアル。此等心ノ不妄語全キト云ヘキコトシヤ。女子ノ中ニハ。戦国ノ時。楚ノ昭王ノ寵姫。一人ヲ蔡姫ト云。一人ヲ越姫ト云。其中越姫カ事シヤ。昭王陣中ニ薨セシトキ。王ノ弟子閭。子西。子期等カ母誠アレハ子必ス仁アリト云テ。越姫ノ子熊章ヲ立テ楚王トシタ。是カ楚ノ恵王シヤトアル。此事実ハ。史記等ヲ看ヨ。
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説苑・修文延陵の季子齊に適くに、其の反るや、其の長子嬴博の間に死す、因りて焉に葬る。孔子之を聞きて、曰く、「延陵季子は吳の禮に習える者なり。」子貢をして往きて之を觀しむ。其の穿つや、深きこと泉に至らず。其の斂むるや、時の服を以てす。既に葬るや、壙を封じ墳を掩坎す、其の高さ隱すべし。既に封じて、左袒右旋し、其れ封じて且つ號する者三たびす。言いて曰く、「骨肉土に歸復す、命なり。魂氣の若きは則ち之かざる無きなり!之かざる無きなり!」と。而して遂に行く。孔子曰く、「延陵季子は禮に於て其れ合えり。」と。
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孔子家語・曲禮子貢問呉の延陵季子、上国に聘す、斉に適き、其の返るに於て、其の長子嬴博の間に死す。孔子之を聞きて曰く、「延陵季子は、呉の礼に習える者なり、?して其の葬を観よ」と。其の歛は、時服を以てするのみ。其の壙は、坎を掩うこと深さ泉に至らず。其の葬は、盟器の贈り無し。既に葬るや、其の封は広輪坎を掩い、其の高さ時に隠るべきなり。既に封じては、則ち季子乃ち左袒右還して其の封を巡り、且つ号ぶこと三たびして曰く、骨肉土に帰るは、命なり、魂気の若きは則ち之かざる所無し、則ち之かざる所無くして遂に行く。孔子曰く、「延陵季子の礼、其れ合えり」と。
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礼記・檀弓下喪に居(きょ)を慮(はか)らず、毀(き)して身を危うくせず。喪に居を慮らざるは、廟無きが為なり。毀して身を危うくせざるは、後無きが為なり。 延陵季子斉に適(ゆ)く、其の反るに於いて、其の長子死す、贏博(えいはく)の間に葬る。孔子曰く、「延陵季子は、呉の礼に習える者なり」と。往きて其の葬を観る。其の坎(あな)の深さ泉に至らず、其の斂むるに時服を以てす。既に葬りて封じ、広輪(こうりん)坎を揜(おお)い、其の高さ隠(よ)るべし。既に封じて、左袒(さたん)し、右に其の封を還(めぐ)り且つ号(さけ)ぶこと三たび、曰く、「骨肉の土に帰復するは、命なり。魂気の若(ごと)きは則ち之(ゆ)かざる無きなり、之かざる無きなり」と。而して遂に行く。孔子曰く、「延陵季子の礼に於けるや、其れ合えるか」と。