論衡 / 『論衡』難歲篇第七十三・後付けで祟りを探す仕組み
人居不能不移徙、移徙不能不觸歲、(不)觸歲不能不得時死。工伎之人、見今人之死、則歸禍於往時之徙。俗心險危、死者不絕、故太歲之言、傳世不滅。
新字:人居不能不移徙、移徙不能不触歳、(不)触歳不能不得時死。工伎之人、見今人之死、則帰禍於往時之徙。俗心険危、死者不絶、故太歳之言、伝世不滅。
書き下し
人の居るや移徙せざる能わず、移徙すれば歳に触れざる能わず、歳に触るれば時に死を得ざる能わず。工伎の人は、今の人の死を見ては、則ち禍を往時の徙に帰す。俗心は険危にして、死者絶えざれば、故に太歳の言は世に伝わりて滅びず。
現代語訳
人が暮らす以上、引っ越しをしないわけにはいかず、引っ越せば太歳に触れないわけにはいかず、太歳に触れれば、いつかは死を迎えないわけにはいきません。占い師は、今の人の死を見ると、その禍を以前の引っ越しのせいにします。世間の人の心は不安に傾きやすく、死者が絶えることもないので、太歳の説は世に伝わって消えないのです。
解説
太歳は、年ごとに方位を巡って凶をもたらすとされた神で、その方角への引っ越しは避けるものとされていました。王充は、引っ越しは生活上避けられず、人はいつか必ず死ぬのだから、どんな死も後から引っ越しのせいにできてしまう、と指摘します。何が起きても説明がつく理屈は、裏返せば確かめようのない理屈です。職場でも、問題が起きてから「あの判断が悪かった」と原因を作ることがあります。反証できる形で原因を語れているかを、自分に問う材料になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
太歳移徙触歳工伎死反証
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