論衡 / 『論衡』譏日篇第七十・事を決めるのは人事の可否
王法舉事以人事之可否、不問日之吉凶。孔子曰:「卜其宅兆而安厝之。」《春秋》祭祀不言卜日。《禮》曰:「內事以柔日、外事以剛日。」剛柔以慎內外、不論吉凶以為禍福。
新字:王法舉事以人事之可否、不問日之吉凶。孔子曰:「卜其宅兆而安厝之。」《春秋》祭祀不言卜日。《礼》曰:「内事以柔日、外事以剛日。」剛柔以慎内外、不論吉凶以為禍福。
書き下し
王法の事を挙ぐるや、人事の可否を以てし、日の吉凶を問わず。孔子曰わく、「其の宅兆を卜して之を安厝す」と。『春秋』は祭祀に日を卜するを言わず。『礼』に曰わく、「内事は柔日を以てし、外事は剛日を以てす」と。剛柔は以て内外を慎むなり、吉凶を論じて以て禍福と為すにあらず。
現代語訳
王者の法が事を起こすときは、人としてそれが理にかなうかどうかで決め、日の吉凶は問いません。孔子は「墓所の場所を占って、そこに安らかに納める」と言いました。『春秋』は、祭祀について日取りを占ったとは述べていません。『礼』には「内の事は柔日(陰の日)、外の事は剛日(陽の日)に行う」とありますが、剛と柔の区別は内と外のけじめを慎むためのもので、吉凶を論じて禍福の原因とするものではありません。
解説
この一段は、葬りの暦や祭りの日取り、沐浴や裁縫の吉凶まで、日の禁忌を一つずつ検証してきた篇の結びです。王充は、事を起こす根拠は人としての可否にあり、日の吉凶ではないと言い切ります。当時は官も民も暦の禁忌を気にしました。現代でも、縁起や慣習、会議の空気で日程や進め方が決まることがあります。大安の日に契約すること自体は悪くありません。ただ、やるかやらないかの根拠まで日取りに預けないこと。決める理由を中身の是非に置く姿勢が、この一節から読み取れます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人事の可否吉凶日取り択日柔日剛日春秋
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