論衡 / 『論衡』順鼓篇第四十六・天地の病は祈って治らない
久雨不霽、試使人君高枕安臥、雨猶自止;止久至於太旱、試使人君高枕安臥、旱猶自雨。何則?〔陽〕極反陰、陰極反〔陽〕。故夫天地之有湛也、何以知不如人之有水病也?其有旱也、何以知不如人有癉疾也?禱請求福、終不能愈、變操易行、終不能救;使醫食葯、冀可得愈、命盡期至、醫葯無效。
新字:久雨不霽、試使人君高枕安臥、雨猶自止;止久至於太旱、試使人君高枕安臥、旱猶自雨。何則?〔陽〕極反陰、陰極反〔陽〕。故夫天地之有湛也、何以知不如人之有水病也?其有旱也、何以知不如人有癉疾也?祷請求福、終不能愈、変操易行、終不能救;使医食葯、冀可得愈、命尽期至、医葯無効。
書き下し
久雨霽れず、試みに人君をして枕を高くして安臥せしむるも、雨は猶お自ら止む。止むこと久しくして太旱に至り、試みに人君をして枕を高くして安臥せしむるも、旱は猶お自ら雨ふる。何となれば則ち、陽極まれば陰に反り、陰極まれば陽に反ればなり。故に夫れ天地の湛有るは、何を以て人の水病有るが如くならざるを知らんや。其の旱有るは、何を以て人の癉疾有るが如くならざるを知らんや。禱請して福を求むるも、終に愈やす能わず、操を変じ行いを易うるも、終に救う能わず。医をして葯を食せしめ、愈ゆるを得べきを冀うも、命尽き期至らば、医葯も効無し。
現代語訳
長雨がいつまでも晴れないとき、君主に枕を高くして寝ていてもらったとしても、雨はやがて自然に止みます。止んだ状態が長く続いて大干ばつになったときも、君主が寝ていたところで、干ばつはやはり自然に雨に変わります。なぜかといえば、陽が極まれば陰に戻り、陰が極まれば陽に戻るからです。ですから、天地に長雨があるのは、人に水のたまる病があるのと同じではないと、どうして言えるでしょうか。干ばつがあるのも、人が熱病にかかるのと同じではないと、どうして言えるでしょうか。祈って福を求めても病は結局治らず、行いを改めても結局救えません。医者にかかり薬を飲んで治ることを願っても、寿命が尽き、定めの時が来れば、医者も薬も効きません。
解説

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