論衡 / 『論衡』問孔篇第二十八・食を捨てて信は立つか
問:使治國無食、民餓、棄禮義;禮義棄、信安所立?傳曰:「倉稟實、知禮節;衣食足、知榮辱。讓生於有餘、爭生於不足。」今言去食、信安得成?春秋之時、戰國飢餓、易子而食、析骸而炊、口飢不食、不暇顧恩義也。夫父子之恩、信矣。飢餓棄信、以子為食。孔子教子貢去食存信、如何?夫去信存食、雖不欲信、信自生矣;去食存信、雖欲為信、信不立矣。
新字:問:使治国無食、民餓、棄礼義;礼義棄、信安所立?伝曰:「倉稟実、知礼節;衣食足、知栄辱。譲生於有余、争生於不足。」今言去食、信安得成?春秋之時、戦国飢餓、易子而食、析骸而炊、口飢不食、不暇顧恩義也。夫父子之恩、信矣。飢餓棄信、以子為食。孔子教子貢去食存信、如何?夫去信存食、雖不欲信、信自生矣;去食存信、雖欲為信、信不立矣。
書き下し
問う。国を治むるに食無からしめば、民は餓え、礼義を棄てん。礼義棄てらるれば、信は安くにか立たん。伝に曰く、倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。譲は有余に生じ、争は不足に生ずと。今食を去ると言わば、信は安んぞ成るを得ん。春秋の時、戦国飢餓し、子を易えて食し、骸を析きて炊き、口飢えて食らわざれば、恩義を顧みるに暇あらず。夫れ父子の恩は、信なり。飢餓すれば信を棄て、子を以て食と為す。孔子の子貢に食を去りて信を存せよと教うるは、如何。夫れ信を去りて食を存すれば、信を欲せずと雖も、信は自ら生ず。食を去りて信を存すれば、信を為さんと欲すと雖も、信は立たず。
現代語訳
問います。国を治めるのに食べ物がなければ、民は飢え、礼義を捨てるでしょう。礼義が捨てられたら、信頼はどこに成り立つのでしょうか。古い伝に、倉が満ちてはじめて礼節を知り、衣食が足りてはじめて栄誉と恥を知るとあります。譲り合いは余裕から生まれ、争いは不足から生まれます。それなのに食を捨てよと言うなら、信頼はどうして成り立つのでしょうか。春秋戦国の飢饉のときには、子どもを交換して食べ、骨を割って炊くほどで、飢えれば恩義を顧みる余裕などありませんでした。父と子の恩愛は、信頼の最たるものです。それでも飢えれば信を捨て、わが子を食料にします。孔子が子貢に、食を捨てて信を守れと教えたのは、どうなのでしょうか。信を捨てて食を残せば、信を求めなくても信は自然に生まれます。食を捨てて信を残せば、信を保とうとしても信は立ちません。
解説

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