論衡 / 『論衡』命義篇第六・命・祿・遭遇・幸偶の四つ
人有命、有祿、有遭遇、有幸偶。命者、貧富貴賤也;祿者、盛衰興廢也。以命當富貴、遭當盛之祿、常安不危;以命當貧賤、遇當衰之祿、則禍殃乃至、常苦不樂。遭者、遭逢非常之變、若成湯囚夏台、文王厄牖里矣。
新字:人有命、有禄、有遭遇、有幸偶。命者、貧富貴賤也;禄者、盛衰興廃也。以命当富貴、遭当盛之禄、常安不危;以命当貧賤、遇当衰之禄、則禍殃乃至、常苦不楽。遭者、遭逢非常之変、若成湯囚夏台、文王厄牖里矣。
書き下し
人に命有り、祿有り、遭遇有り、幸偶有り。命とは、貧富貴賤なり。祿とは、盛衰興廃なり。命の富貴に当たるを以て、盛に当たるの祿に遭えば、常に安くして危うからず。命の貧賤に当たるを以て、衰に当たるの祿に遇えば、則ち禍殃乃ち至り、常に苦しみて楽しまず。遭とは、非常の変に遭逢するなり。成湯の夏台に囚われ、文王の牖里に厄せられしが若し。
現代語訳
人には命があり、祿があり、遭遇があり、幸偶があります。命とは貧富や貴賤のことです。祿とは盛衰や興廃のことです。命が富貴にあたり、しかも盛んな祿に出会えば、いつも安らかで危うくありません。命が貧賤にあたり、衰えの祿に出会えば、災いが至り、いつも苦しんで楽しめません。遭とは、思いがけない変事に出会うことで、湯王が夏台に囚われ、文王が牖里で苦難にあったようなものです。
解説
王充は人の運命を、命、祿、遭遇、幸偶の四つに整理します。命は貧富貴賤の持ち前、祿は時期ごとの盛衰、遭は思いがけない変事にあたり、幸偶は別の箇所で賞罰や登用の巡り合わせとして論じられます。殷の湯王が夏台に、周の文王が牖里に囚われた話を引き、聖人でも不運に見舞われると示します。運を一括りにせず分解して考えるのが、この段の面白いところです。経営でも、業績の波を実力、市況、突発事、偶然に分けて振り返ると、次の手が見えやすくなります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
命禄遭遇幸偶運の分解
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