論語と算盤 / 成敗と運命・成敗は身に残る糟粕
道理は天に於ける日月の如く、終始昭々乎として毫も昧まさ〻゙るものであるから、道理に伴うて事をなす者は必ず栄え、道理に悖つて事を計る者は必ず亡ぶる事と想ふ、
書き下し
道理は天における日月のごとく、終始昭々乎として毫も昧まさざるものであるから、道理に伴うて事をなす者は必ず栄え、道理に悖って事を計る者は必ず亡ぶる事と思う。
現代語訳
道理は天にある太陽や月のように、始めから終わりまで明らかに輝いて、少しも暗まされることのないものであるから、道理に従って事を行う者は必ず栄え、道理にそむいて事を企てる者は必ず滅びるものと思う。
解説
本書の最終章も終わりに近い一段である。道理は天の日月のように、いつも明らかで少しも暗まされない。だから道理に従って事をなす者は必ず栄え、道理にそむいて事を計る者は必ず亡びる、と渋沢は言う。日月の比喩は『論語』子張篇で、子貢が孔子を日月にたとえ、人が絶とうとしても日月を損なうことはできないと言った言葉を思い起こさせる。短期的には悪運で成功する者もいる、善人が負けたように見えることもある、とここまで認めてきたうえでの断言である。論語と算盤、すなわち道徳と経済は一致するという本書全体の主張は、この道理への信頼の上に立っている。渋沢はこの後、道理に則って一身を終始せよという言葉で本書を閉じる。利益と正しさが食い違うように見えるときこそ、長い目で道理に従う者が最後に栄えると信じられるか。読み終えた読者に渡される問いである。
関連する章句
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕一時の成敗は長い人生、価値の多い生涯における泡沫のごときものである。しかるにこの泡沫のごときものに憧れて、目前の成敗のみを論ずる者が多いようでは、国家の発達進歩も思いやられる。よろしくそのような浮薄な考えは一掃し去りて、社会に処して実質のある生活をするがよい。いやしくも事の成敗以外に超然として立ち、道理に則って一身を終始するならば、成功失敗のごときは愚か、それ以上に価値ある生涯を送ることが出来るのである。いわんや成功は人たるの務めを完うしたるより生ずる糟粕たるにおいては、なおさら意に介するに足らぬではないか。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず余は平生の経験から、自己の説として論語と算盤とは一致すべきものであると言っている。孔子が切実に道徳を教示せられたのも、その間経済にも相当の注意を払ってあると思う。これは論語にも散見するが、特に大学には生財の大道を述べてある。もちろん世に立って、政を行うには、政務の要費はもちろん、一般人民の衣食住の必要から、金銭上の関係を生ずることは言うまでもないから、結局、国を治め民を済うためには道徳が必要であるから、経済と道徳とを調和せねばならぬ事となるのである。ゆえに余は一個の実業家としても、経済と道徳との一致を勉むるために、常に論語と算盤との調和が肝要であると手軽く説明して、一般の人々が平易にその注意を怠らぬように導きつつあるのである。
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