論語と算盤 / 成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか
孟子が梁の恵王に『王歳を罪すること無くんば、斯に天下の民至らん』と曰ふたのも矢張同じ意味で、政治の悪いことを言はず、歳の悪いことに其の罪を帰せしめんとした誤りである、若し民の帰服せんことを欲するならば、歳の豊凶は敢て与る所にあらず、専ら治者の徳の如何を主とせなければならぬ、然るに民が服せぬからというて、罪を凶歳に帰して自己の徳の足らざるを忘れて居るのは、恰かも自ら逆境を造りながら、其罪を天に問はんとすると同一主義である、兎に角世人の多くは、我が智能や勤勉を外にして逆境が来たかの如くいふの弊がある、そは愚も亦甚だしいもので、余は相当なる智能に加ふるに勉強を以てすれば世人の謂ゆる逆境なぞは、決して来らぬものであると信ずるのである。
書き下し
孟子が梁の恵王に「王歳を罪すること無くんば、ここに天下の民至らん」と言うたのもやはり同じ意味で、政治の悪いことを言わず、歳の悪いことにその罪を帰せしめんとした誤りである。もし民の帰服せんことを欲するならば、歳の豊凶はあえて与る所にあらず、専ら治者の徳のいかんを主とせなければならぬ。しかるに民が服せぬからと言うて、罪を凶歳に帰して自己の徳の足らざるを忘れているのは、あたかも自ら逆境を造りながら、その罪を天に問わんとすると同一主義である。とにかく世人の多くは、我が智能や勤勉を外にして逆境が来たかのごとく言うの弊がある。それは愚もまた甚だしいもので、余は相当なる智能に加うるに勉強をもってすれば世人のいわゆる逆境などは、決して来らぬものであると信ずるのである。
現代語訳
孟子が梁の恵王に「王が凶作の年のせいにすることさえなければ、天下の民はやって来るでしょう」と言ったのもやはり同じ意味で、恵王が政治の悪さを言わず、年の作柄の悪さに罪を帰そうとした誤りを指摘したのである。もし民が心から従うことを望むなら、年の豊作・凶作はあえて関わるところではなく、もっぱら治める者の徳がどうであるかを主としなければならない。それなのに、民が従わないからといって罪を凶作の年に帰し、自分の徳の足りなさを忘れているのは、ちょうど自分で逆境をつくりながら、その罪を天に問おうとするのと同じ考え方である。とにかく世間の多くの人には、自分の知能や勤勉さを脇に置いて、逆境がやって来たかのように言う弊がある。それは愚かなこともはなはだしいもので、私は、相当な知能に勉強が加われば、世間でいう逆境などは決して来ないものだと信じるのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか例えば、身体の弱い人が、気候を罪して寒いから風邪を引いたとか、陽気に中って腹痛がするとか言って、自分の体質の悪いことはさらに口にしない。これも風邪や腹痛という結果の来る前に、身体さえ強壮にして置いたならば、何もそれらの気候のために病魔に襲われることは無いであろうに、平素の注意を怠るがために自ら病気を招くのである。しかるに病気になったからと言って、それを自分の責とはせず、かえって気候を怨むに至っては、自ら作った逆境の罪を天に帰するのと同一論法である。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るかもしその人に優れた智能があり、これに加うるに欠くる所なき勉強をしてゆけば、決して逆境にいる筈はない。逆境がなければ順境という言葉も消滅する。自ら進んで逆境という結果を造る人があるから、それに対して順境などという言葉も起こって来るのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか以上述べた所よりすれば、余は逆境はないものであると絶対に言い切りたいのであるが、そうまで極端に言い切れない場合が一つある。それは智能才幹何一つの欠点もなく、勤勉精励、人の師表と仰ぐに足るだけの人物でも、政治界実業界に順当に志の行われてゆく者と、その反対に何事も意と反して蹉跌する者とがある。そうして後者のごとき者に対して、余は真意義の逆境なる言葉を用いたいのである。
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石それに反して、人為的逆境に陥った場合はいかにすべきかというに、これは多く自働的なれば、何でも自分に省みて悪い点を改めるより外はない。世の中の事は多く自働的のもので、自分からこうしたいああしたいと奮励さえすれば、たいがいはその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、かえって手前の方からほとんど故意にねじけた人となって逆境を招くような事をしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいとて、それを得られる筈がないではないか。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るかさらに他の一人は、性来懶惰で、学校時代には落第ばかりしていたのを、やっとお情けで卒業したが、さてこの上は今まで学んだ所の学問で世に立たねばならぬけれども、性質が愚鈍でかつ不勉強であるから、職を得ても上役から命ぜらるる所の事が何もかも思うように出来ない。心中には不平が起こって仕事に忠実を欠き、上役に受けが悪く、ついには免職される。家に帰れば父母兄弟には疎んぜられる。家庭に信用がないくらいなら郷里にも不信用となる。こうなれば不平はますます嵩まり、自暴自棄に陥る。そこに付け込んで悪友が誘惑すると、思わず邪路に踏み入り、勢い正道をもって世に立てぬことになるから、やむを得ず窮途に彷徨しなければならぬ。しかるに世人はこれを見て逆境の人といい、またそれがいかにも逆境であるらしく見えるのである。実はそうでなくて皆自ら招いた所の境遇であるのだ。
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孟子・梁惠王章句上梁の惠王曰く、「寡人の國に於けるや、心を盡くすのみ。河内凶なれば則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるも亦た然り。鄰國の政を察するに、寡人の心を用うるが如き者無し。鄰國の民少きを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。」孟子對えて曰く、「王戰いを好む。請う戰いを以て喻えん。填然として之に鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百步にして而る後に止り、或いは五十步にして而る後に止まる。五十步を以て百步を笑わば、則ち何如。」曰く、「不可なり。直だ百步ならざるのみ。是も亦た走るなり。」曰く、「王如し此を知らば、則ち民の鄰國より多きを望むこと無かれ。農時に違わざれば、穀は勝げて食う可からず。數罟(ソク・コ)洿池(オ・チ)に入らずんば、魚鼈も勝げて食う可からず。斧斤時を以て山林に入れば、材木勝げて用う可からず。穀と魚鼈と勝げて食う可からず、材木勝げて用う可からざるは、是れ民をして生を養い死を喪して憾無からしむるなり。生を養い死を喪して憾無きは、王道の始めなり。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者、以て帛を衣る可し。雞豚狗彘の畜、其の時を失う無くんば、七十の者、以て肉を食う可し。百畝の田、其の時を奪う勿くんば、數口の家、以て飢うる無かる可し。庠序の教えを謹み、之に申(かさねる)ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者、道路に負戴せず。七十の者、帛を衣て肉を食い、黎民、飢えず寒えず。然り而して王ならざる者は、未だ之れ有らざるなり。狗彘、人の食を食らいて檢するを知らず。塗に餓莩(ガ・ヒョウ)有りて發するを知らず。人死すれば、則ち曰く、『我に非ざるなり、歳なり。』是れ何ぞ人を刺して之を殺して、我に非ざるなり、兵なり、と曰うに異ならんや。王、歳を罪する無くんば、斯に天下の民至らん。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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