論語と算盤 / 成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか
例へば、身体の尫弱の人が、気候を罪して寒いから風を引いたとか、陽気に中つて腹痛がするとかいうて、自分の体質の悪いことは更に口にしない、これも風邪や腹痛といふ結果の来る前に、身体さへ強壮にして置いたならば、何も夫等の気候の為に病魔に襲はる〻ことは無いであらうに、平素の注意を怠るが為に自ら病気を招くのである、然るに病気になつたからというて、それを自分の責とはせず、却つて気候を怨むに至つては、自ら作つた逆境の罪を天に帰すると同一論法である
書き下し
例えば、身体の弱い人が、気候を罪して寒いから風邪を引いたとか、陽気に中って腹痛がするとか言って、自分の体質の悪いことはさらに口にしない。これも風邪や腹痛という結果の来る前に、身体さえ強壮にして置いたならば、何もそれらの気候のために病魔に襲われることは無いであろうに、平素の注意を怠るがために自ら病気を招くのである。しかるに病気になったからと言って、それを自分の責とはせず、かえって気候を怨むに至っては、自ら作った逆境の罪を天に帰するのと同一論法である。
現代語訳
たとえば身体の弱い人が、気候のせいにして、寒いから風邪をひいた、陽気に当たって腹が痛むなどと言い、自分の体質が悪いことは口にしない。これも、風邪や腹痛という結果が来る前に身体を丈夫にしておけば、その気候のために病魔に襲われることはなかったはずなのに、日ごろの注意を怠るから自分で病気を招くのである。それなのに、病気になったのを自分の責任とせず、かえって気候を怨むに至っては、自分でつくった逆境の罪を天に帰するのと同じ理屈である。
解説
渋沢はこの章で、順境も逆境もほとんどは自分がつくったものだと論じる。能力があり健康で勤勉な者が栄達すれば世間は順境の人と呼ぶが、それは本人が造った境遇にすぎない。怠惰で不勉強な者が職を失い自暴自棄に陥れば逆境と呼ばれるが、それも自ら招いたものだ、と。韓愈が息子を励ました詩を引き、幼い頃は同じだった二人が学ぶか学ばないかで竜と豚に分かれる、と続ける。この一段はその比喩だ。ただし彼は極端には走らない。章の末尾で、才も勤勉も欠けない人物が何をやっても蹉跌する場合があることを認め、そこにだけ「真意義の逆境」という言葉を残している。
この章句が説くこと
順境と逆境自ら招いた境遇歳を罪すること無かれ真意義の逆境