論語と算盤 / 成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか
更に他の一人は、性来懶惰で、学校時代には落第ばかりして居たのを、やつとお情で卒業したが、さて此上は今まで学んだ所の学問で世に立たねばならぬけれども、性質が愚鈍で且つ不勉強であるから、職を得ても上役から命ぜらる〻所の事が何も彼も思ふやうに出来ない、心中には不平が起つて仕事に忠実を欠き、上役に受けが悪く、遂には免職される、家に帰れば父母兄弟には疎んぜられる、家庭に信用がない位なら郷里にも不信用となる、斯うなれば不平は益〻嵩まり、自暴自棄に陥る、其所に附込んで悪友が誘惑すると、思はず邪路に蹈入り、勢ひ正道を以て世に立てぬことになるから、已むを得ず窮途に彷徨しなければならぬ、然るに世人はこれを見て逆境の人といひ、又それが如何にも逆境であるらしく見えるのである、実は左様でなくて皆自ら招いだ所の境遇であるのだ、
書き下し
さらに他の一人は、性来懶惰で、学校時代には落第ばかりしていたのを、やっとお情けで卒業したが、さてこの上は今まで学んだ所の学問で世に立たねばならぬけれども、性質が愚鈍でかつ不勉強であるから、職を得ても上役から命ぜらるる所の事が何もかも思うように出来ない。心中には不平が起こって仕事に忠実を欠き、上役に受けが悪く、ついには免職される。家に帰れば父母兄弟には疎んぜられる。家庭に信用がないくらいなら郷里にも不信用となる。こうなれば不平はますます嵩まり、自暴自棄に陥る。そこに付け込んで悪友が誘惑すると、思わず邪路に踏み入り、勢い正道をもって世に立てぬことになるから、やむを得ず窮途に彷徨しなければならぬ。しかるに世人はこれを見て逆境の人といい、またそれがいかにも逆境であるらしく見えるのである。実はそうでなくて皆自ら招いた所の境遇であるのだ。
現代語訳
さらにもう一人は、生まれつき怠け者で、学校時代には落第ばかりしていたのを、やっとお情けで卒業した。さてこれからは今まで学んだ学問で世に立たなければならないが、性質が愚鈍なうえに不勉強であるから、職を得ても上役から命じられることが何もかも思うようにできない。心の中には不平が起こって仕事に忠実さを欠き、上役の受けが悪く、ついには免職される。家に帰れば父母兄弟から疎んじられる。家庭で信用がないくらいであるから、郷里でも信用を失う。こうなると不平はますます募り、自暴自棄に陥る。そこへ付け込んで悪い友人が誘惑すると、思わず邪な道に踏み込み、どうしても正しい道で世に立てなくなるから、やむをえず行き詰まりの道をさまよわなければならなくなる。ところが世間の人はこれを見て逆境の人と言い、またそれがいかにも逆境であるように見えるのである。実はそうではなく、みな自分で招いた境遇なのである。
解説
関連する章句
-
『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るかここに二人があるとして、その一人は地位もなければ富もなく、もとよりこれを援き立てる先輩もない。すなわち世に立って栄達すべき素因というものが極めて薄弱であるが、わずかに世の中に立つに足るだけ、一通りの学問はして世に出たとする。しかるにその人に非凡の能力があって、身体が健全で、いかにも勉強家で、行いが皆節に中り、何事をやらせても先輩をして安心させるだけに仕上げるのみならず、かえってその長上の意想外に出るほどにやるから、必ず多数人はこの人の行う所を賞讃するに相違ない。そうしてその人は官に在ると野に在るとを問わず、必ず言行われ、業成り、ついには富貴栄達を得らるるようになる。しかるにこの人の身分地位を側面から見ている世人は、一も二もなく彼を順境の人と思うであろうが、実は順境でも逆境でもなく、その人自らの力でそういう境遇を造り出したに過ぎないのである。
-
『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか例えば、身体の弱い人が、気候を罪して寒いから風邪を引いたとか、陽気に中って腹痛がするとか言って、自分の体質の悪いことはさらに口にしない。これも風邪や腹痛という結果の来る前に、身体さえ強壮にして置いたならば、何もそれらの気候のために病魔に襲われることは無いであろうに、平素の注意を怠るがために自ら病気を招くのである。しかるに病気になったからと言って、それを自分の責とはせず、かえって気候を怨むに至っては、自ら作った逆境の罪を天に帰するのと同一論法である。
-
『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか以上述べた所よりすれば、余は逆境はないものであると絶対に言い切りたいのであるが、そうまで極端に言い切れない場合が一つある。それは智能才幹何一つの欠点もなく、勤勉精励、人の師表と仰ぐに足るだけの人物でも、政治界実業界に順当に志の行われてゆく者と、その反対に何事も意と反して蹉跌する者とがある。そうして後者のごとき者に対して、余は真意義の逆境なる言葉を用いたいのである。
-
『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るかもしその人に優れた智能があり、これに加うるに欠くる所なき勉強をしてゆけば、決して逆境にいる筈はない。逆境がなければ順境という言葉も消滅する。自ら進んで逆境という結果を造る人があるから、それに対して順境などという言葉も起こって来るのである。
-
『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石それに反して、人為的逆境に陥った場合はいかにすべきかというに、これは多く自働的なれば、何でも自分に省みて悪い点を改めるより外はない。世の中の事は多く自働的のもので、自分からこうしたいああしたいと奮励さえすれば、たいがいはその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、かえって手前の方からほとんど故意にねじけた人となって逆境を招くような事をしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいとて、それを得られる筈がないではないか。
-
『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石したがってその渦中に投ぜられて逆境に立つ人も常にあることであろうから、世の中に逆境は絶対に無いと言い切ることは出来ないのである。ただ順逆を立つる人は、よろしくそのよって来る所以を講究し、それが人為的逆境であるか、ただしは自然的逆境であるかを区別し、しかる後これに応ずるの策を立てねばならぬ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る