論語と算盤 / 成敗と運命・失敗らしき成功
支那といふ国の民族気質には一種妙な所があつて、英雄豪傑の墳墓などは粗末にして置いて、毫も怪まず平然たり得る傾向がある、併し友人にして支那の事情に通ぜらる〻白岩君に面会して親しく聞いた所や、また白岩君が「心の花」に寄せられた紀行などを読んでも明かに知られるやうに、曲阜にある孔夫子の廟ばかりは、流石の支那人も之を頗る鄭重に保存して、善美壮厳を極め、夫子の後裔も今猶ほ現存して、一般より非常なる尊敬を受けて居るとのことである、然らば孔夫子が生前に於て堯舜禹湯文武周公の如き政治上に見るべき功績を挙げて、高き位に居るまでに至らず、其富も天下を有つといふまでになれずに、今の言葉でいふ成功をしなかつた事は、決して失敗でないのである、之が却つて真の成功と謂ふべきものである。
書き下し
支那という国の民族気質には一種妙な所があって、英雄豪傑の墳墓などは粗末にしておいて、毫も怪しまず平然たり得る傾向がある。しかし友人にして支那の事情に通ぜらるる白岩君に面会して親しく聞いた所や、また白岩君が「心の花」に寄せられた紀行などを読んでも明らかに知られるように、曲阜にある孔夫子の廟ばかりは、さすがの支那人もこれをすこぶる鄭重に保存して、善美壮厳を極め、夫子の後裔も今なお現存して、一般より非常なる尊敬を受けているとのことである。しからば孔夫子が生前において堯舜禹湯文武周公のごとき政治上に見るべき功績を挙げて、高き位に居るまでに至らず、その富も天下をたもつというまでになれずに、今の言葉でいう成功をしなかった事は、決して失敗でないのである。これがかえって真の成功と言うべきものである。
現代語訳
中国という国の民族気質には一種妙なところがあって、英雄豪傑の墓などは粗末にしておいても、少しも怪しまず平然としていられる傾向がある。しかし、友人で中国の事情に通じている白岩君に会ってじかに聞いたところや、また白岩君が雑誌『心の花』に寄せた紀行などを読んでも明らかにわかるように、曲阜にある孔子の廟だけは、さすがの中国人もたいへん丁重に保存して、美しさと荘厳さを極めており、孔子の子孫も今なお健在で、世間から非常な尊敬を受けているとのことである。そうであれば、孔子が生前、堯・舜・禹・湯・文王・武王・周公のように政治の上で見るべき功績を挙げて高い位にのぼることもなく、その富も天下を保つほどにはなれず、今の言葉でいう成功をしなかったことは、決して失敗ではないのである。これこそ、かえって真の成功と言うべきものである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功支那で聖賢といえば、堯舜がまず初まりで、それから禹湯文武周公孔子となるのであるが、堯舜とか禹湯とか文武周公とかいう人達は、同じ聖賢の中でも、いずれも皆今の言葉でいう成功者で、生前においてつとに既に見るに足るべき治績を挙げ、世人の尊崇を受けて死んだ人々である。これに反し、孔夫子は今の言葉のいわゆる成功者ではない。生前は無辜の罪に遭って陳蔡の野に苦しめられたり、随分、艱難ばかりをなめられたもので、これという見るべき功績とても社会上にあった訳ではない。しかし千載の後、今日になってみると、生前に治績を挙げた成功者の堯舜禹湯文武周公よりも、一見その全生涯が失敗不遇のごとくに思われた孔子を崇拝する者の方がかえって多く、同じく聖賢の内でも、孔夫子が最も多く尊崇せられている。
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功眼前に現れた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば、湊川に矢尽き刀折れて戦死した楠正成は失敗者で、征夷大将軍の位に登って勢威四海を圧するに至った足利尊氏は確かに成功者である。しかし今日において尊氏を崇拝する者はないが、正成を尊崇する者は天下に絶えぬのである。しからば生前の成功者たる尊氏はかえって永遠の失敗者で、生前の失敗者たりし正成はかえって永遠の成功者である。菅原道真と藤原時平とについて見ても、時平は当時の成功者で、太宰府に罪なくして配所の月を眺めねばならなかった道真公は、当時の失敗者であったに相違ないが、今日では一人として時平を尊む者なく、道真公は天満大自在として全国津々浦々の端においても祀られている。道真公の失敗は決して失敗でない。これはかえって真の成功者である。
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功文筆言論、その他すべて精神的方面の事業に従事する者が、今のいわゆる成功を生前に収めようとしてもがけば、かえって時流に阿り、効果を急ぐがために、社会に益を与えぬようなことになる。さればとていかに精神的事業でも、いたずらに大言壮語して、人生の根本に触るることの出来ぬ大きな目論見ばかり立てて、毫も努力する所がないようでは、百載の後、たとい黄河の澄む期節があっても、到底失敗に終わり、最後の成功を収め得らるべきものでない。渾身の努力をさえ尽くしていれば、精神的事業においての失敗は決して失敗ではない。あたかも孔夫子の遺業が、今日世界幾百千万の人に安心立命の基礎を与えつつあるごとく、後昆を裨益し、人心の向上発達に貢献し得ることになり得るものである。
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『論語と算盤』人格と修養・人格の標準は如何けだし人を評して優劣を論ずることは、世間の人の好む所であるが、よくその真相を穿つの困難はこれをもって知らるるのであるから、人の真価というものは容易に判定さるべきものではない。真に人を評論せんとならば、その富貴功名に属するいわゆる成敗を第二に置き、よくその人の世に尽したる精神と効果とによってすべきものである。
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功これらの事実より推して考えると、世のいわゆる成功は必ずしも成功でなく、世のいわゆる失敗は必ずしも失敗でないということがすこぶる明瞭になるが、会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人にも迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものであるが、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟を喫するがごとき弊に陥って、毫も世道人心の向上に貢献するを得ず、永遠の失敗に終わるものである。例えば新聞雑誌のごときものを発行して、一世を覚醒せんとしても、この目的を達するがために時流に逆らって反抗すれば、時にあるいは奇禍を買って、世のいわゆる失敗に陥り、苦い経験をなめねばならぬごとき場合がないとも限らぬのである。しかしそれは決して失敗ではない。
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功たとい一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず、社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも、十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる。
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