論語と算盤 / 理想と迷信・この熱誠を要す
如何なる仕事に対しても、近頃の流行語に趣味を持たねば不可ぬといひますが、此の趣味といふ語の定義がどの辺にあるか、学者でないから完全なる解釈を下すことは出来ないが、人が職掌を尽すといふにも、此の趣味を持つといふことを深く希望する、趣味といふ字は理想とも聞えるし、慾望とも聞えるし、或は好み楽しむといふやうな意味にも聞える、故に此の趣味といふ字を約めて解釈したならば、単に其の職分を表面通りに勤めて往くと言ふのは、俗にいふ御極まり通りで、只その命令に従つて之を処して行くのである、併し趣味を持つて事物を処するといふのは、我心から持出して、此の仕事は斯くして見たい、斯うやつて見たい、斯うなつたから、是を斯うやつたならば、斯くなるであらうと云ふやうに、種々の理想慾望をそこに加へてやつて行く、其れが始めて趣味を持つたといふこと、即ち趣味といふのは其辺にあると、私は理解する、
書き下し
いかなる仕事に対しても、近頃の流行語に趣味を持たねばいけぬと言いますが、この趣味という語の定義がどの辺にあるか、学者でないから完全なる解釈を下すことは出来ないが、人が職掌を尽すというにも、この趣味を持つということを深く希望する。趣味という字は理想とも聞こえるし、慾望とも聞こえるし、あるいは好み楽しむというような意味にも聞こえる。ゆえにこの趣味という字を約めて解釈したならば、単にその職分を表面通りに勤めて行くと言うのは、俗に言うお極まり通りで、ただその命令に従ってこれを処して行くのである。しかし趣味を持って事物を処するというのは、我が心から持ち出して、この仕事はかくしてみたい、こうやってみたい、こうなったから、これをこうやったならば、かくなるであろうというように、種々の理想慾望をそこに加えてやって行く。それが始めて趣味を持ったということ、すなわち趣味というのはその辺にあると、私は理解する。
現代語訳
どんな仕事に対しても、近ごろの流行語で「趣味を持たなければいけない」と言うが、この趣味という言葉の定義がどのあたりにあるのか、私は学者ではないから完全な解釈を下すことはできない。しかし人が職務を尽くすにあたっても、この趣味を持つということを深く望む。趣味という字は、理想とも聞こえるし、欲望とも聞こえるし、あるいは好んで楽しむという意味にも聞こえる。そこでこの趣味という字を約めて解釈すれば、ただその職分を表面どおりに勤めていくというのは、俗に言う「お決まりどおり」であって、ただ命令に従って事を処理していくだけである。しかし趣味を持って物事を処理するというのは、自分の心から持ち出して、この仕事はこうしてみたい、ああやってみたい、こうなったから、これをこうやればこうなるだろう、というように、さまざまな理想や欲望をそこに加えてやっていくことである。それではじめて趣味を持ったということになる。つまり趣味というのはそのあたりにあると、私は理解している。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・この熱誠を要す何事でも自己の掌ることに深い趣味をもって尽しさえすれば、自分の思う通りにすべてが行かぬまでも、心から生ずる理想もしくは慾望のある一部に適合し得られるものと思う。孔子の言に「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とある。けだしこれは趣味の極致と考える。自分の職掌に対しては必ずこの熱誠がなくてはならぬのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・この熱誠を要す趣味の定義はどうであるか知らぬが、ぜひ人はその掌ることについて、すべてこの趣味を持たれたいと思う。さらに一歩進んで、人として生まれたならば、人たる趣味を持って尽したいと思う。果たしてこの世に一人前の趣味を持って、その趣味が真正に向上して行ったら、それこそ相応の功徳が世の中に現れ得るであろう。それまでに無くとも、趣味ある行動であったならば、必ずその仕事について精神あることであろうと思う。もしそのお極まり通りの仕事に従うのであったら、生命の存在したものでなくて、ただ形の存したものとなる。ある書物の養生法に、もし老衰して生命が存在していても、ただ食うて、寝て、その日を送るだけの人であったならば、それは生命の存在ではなくして、肉塊の存在である。ゆえに人は老衰して、身体は十分に利かぬでも、心をもって世に立つ者であったら、すなわちそれは生命の存在であるという言葉があった。人間は生命の存在たり得たい、肉塊の存在たり得たくないと思う。
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『論語と算盤』理想と迷信・この熱誠を要すこれは私ども頽齢のものは、始終それを心掛けねばならぬ。まだあの人は生きているか知らんと言われるのは、けだし肉塊の存在である。もしそういう人が多数あったならば、この日本は活き活きはせぬと思う。今日世間に名高い人で、まだ生きているかと言われる人がたくさんある。これはすなわち肉塊の存在である。ゆえに事業を処するにもその通り、ただその務めるだけでなく、その事に対して趣味を持たなければいけぬ。もし趣味がないなら精神がなくなってしまう。ちょうど木偶人と同様になる。かくのごとき訳であるから。
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみおよそ業は勤むるに精しく、嬉むに荒むというが、万事がすなわちそれである。もし大なる趣味と大なる感興とをもって事業を迎えられたならば、たといいかに忙しく、またいかほど煩わしくとも、倦怠もしくは厭忌というがごとき、自己が苦痛を感ずる気分の生ずべき理由はない。もしまたこれに反して、全然没趣味をもっていやいやながら事務に従うという場合には、必ずまず倦怠を生じ、次いで厭忌を生じ、次いで不平を生じ、最後には自分がその職を抛たねばならぬようになるは、けだし数の自然である。前者は精神溌溂として愉快の中に趣味なるものを発見し、この趣味よりして無限の感興を惹起し、感興はやがて事業の展開を来たすことに至るものである。そうして事業の展開はすなわち社会に公益を与うることになる。後者は精神が萎縮して、怏々鬱々、倦怠より困憊を醸し、困憊はやがてその身の滅亡を意味することになる。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持ておよそ人の世に処するには、相当の趣味と理想とをもって道理から割り出して進むのが必要であると思う。ただその間にいわゆる商業の徳義はどうしても立て通すようにして、最も重要なるは信である。この信の一字を守ることが出来なかったならば、我々実業界の基礎は鞏固ということは出来ないのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・常識とは如何なるものかおよそ人として世に処するに際し、常識はいずれの地位にも必要で、またいずれの場合にも欠けてはならぬことである。しからば常識とはいかなるものであろうか。余は次のごとく解釈する。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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