論語と算盤 / 理想と迷信・この熱誠を要す
何事でも自己の掌ることに深い趣味を以て尽しさへすれば、自分の思ふ通りに総てが行かぬまでも、心から生ずる理想若くは慾望の或る一部に適合し得らる〻ものと思ふ、孔子の言に『之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽む者に如かず』とある、蓋し之は趣味の極致と考へる、自分の職掌に対しては必ず此の熱誠がなくてはならぬのである。
書き下し
何事でも自己の掌ることに深い趣味をもって尽しさえすれば、自分の思う通りにすべてが行かぬまでも、心から生ずる理想もしくは慾望のある一部に適合し得られるものと思う。孔子の言に「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とある。けだしこれは趣味の極致と考える。自分の職掌に対しては必ずこの熱誠がなくてはならぬのである。
現代語訳
何事であれ、自分の受け持つ仕事に深い興味をもって尽くしさえすれば、思いどおりにすべてが運ばないまでも、心から生まれた理想や願いの一部には届くものだと思う。孔子の言葉に「これを知る者はこれを好む者に及ばない、これを好む者はこれを楽しむ者に及ばない」とある。これこそ趣味の極致だと考える。自分の職務に対しては、必ずこの熱誠がなくてはならないのである。
解説
渋沢の言う趣味は、余暇の趣味ではない。命じられたとおりに務めるのが「御極まり通り」で、そこに自分から、こうしてみたい、こうすればこうなるだろうという理想や欲望を加えて動くこと——それを趣味と呼ぶ。だから趣味のない仕事は、精神を欠いた木偶人形の動作になる。この章にも「肉塊の存在」という言葉が出てくる。ただ食べて寝て日を送るだけなら、それは命の存在ではない、と。世に名の知れた人でも「まだ生きているのか」と言われる者は肉塊の存在だ、という一句は辛辣である。締めくくりが「之を楽む者に如かず」であるのは自然な流れだろう。楽しんでいる者にだけ、務めを超えた工夫が生まれる。
この章句が説くこと
趣味を持って働く熱誠之を楽しむ者に如かず肉塊の存在