論語と算盤 / 算盤と権利・合理的の経営
其れから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思ひ、多数社会に利益を与へるには、其の事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬといふことを常に心にして居た、福沢翁の言に『書物を著はしても、それを多数の者が読むやうなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するといふ観念を以て筆を執らなければならぬ』といふ意味のことがあつたと記憶して居る、事業界のことも亦この理に外ならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言はれない、仮りに一個人のみ大富豪になつても、社会の多数が為に貧困に陥るやうな事業であつたならば如何なものであらうか、如何に其人が富を積んでも、其の幸福は継続されないではないか、故に国家多数の富を致す方法でなければ不可ぬといふのである。
書き下し
それから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心にしていた。福沢翁の言に「書物を著しても、それを多数の者が読むようなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念をもって筆を執らなければならぬ」という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまたこの理にほかならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言われない。仮りに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばいかがなものであろうか。いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。ゆえに国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。
現代語訳
それから、私の事業上の考え方としては、一個人に利益のある仕事よりも、社会の多数を益していくものでなければならないと思い、社会の多数に利益を与えるには、その事業が堅実に発達し、繁盛していかなければならないということを、常に心にかけていた。福沢翁(福沢諭吉)の言葉に「書物を著しても、それを多くの人が読むようなものでなければ効き目が薄い。著者は常に、自分のことよりも国家社会を利するという考えをもって筆を執らなければならない」という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまた、この道理にほかならないものであって、広く社会を益するものでなければ、正しい事業とは言えない。仮に一個人だけが大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るような事業であったとしたら、どうであろうか。どれほどその人が富を積んでも、その幸福は続かないではないか。だから、国家の多数の人々に富をもたらす方法でなければならないというのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れなるほどそう言われて見ると、この評もあるいはしからんと、自ら思い当たることがないでもない。しかしながら余は別に自己の主義とする所があって、およそ世事に処するに当たっては、一身を立つると同時に社会の事に勤め、能う限り善事を殖やし、世の進歩を図りたいとの意念を抱持している。したがって単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいうものは第二に置き、もっぱら国家社会のために尽くさんことを主意とするものである。されば人のために謀って善をなすことに心掛け、すなわち人の能を助けて、それを適所に用いたいとの念慮が多いのである。この心掛けがそもそも世人から誤解を招くに至った所以ではあるまいか。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法試みに例えば石油であるとか、もしくは製粉であるとか、あるいは人造肥料であるというような業務について考えて見ても、もし利益を進めるという観念がなくて、成り行き次第でどうでもよいというような風にやったならば、決して事業が発達するものではない。富の増進するものでないことは明らかである。仮にもしその仕事が自己の利害に関係せず、人ごとに儲かっても己れの仕合わせにならぬ、損しても不仕合わせにならぬということであったならば、その事業は完全に進まぬけれども、己れの仕事であれば、この物を進めたい、この仕事を発達せしむるということは争うべからざる事実である。されば、もしそういう観念から他の事を凌いで、あるいは世の中の大勢を知らず、あるいは事情を察せずに、我さえ善ければよいということであったならば、いかになるか。必ずともにその不幸を蒙って、己れ一人を利そうと思った、その己れもまた不幸を蒙るということになるのである。
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『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営自分は常に事業の経営に任じては、その仕事が国家に必要であって、また道理に合するようにして行きたいと心掛けて来た。たといその事業が微々たるものであろうとも、自分の利益は少額であるとしても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで事に任じられる。ゆえに余は論語をもって商売上のバイブルとなし、孔子の道以外には一歩も出まいと努めて来た。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法実業というものはいかに考えてよいものか。もちろん世の中の商売、工業が利殖を図るものに相違ない。もし商工業にして物を増殖するの効能がなかったならば、すなわち商工業は無意味になる。商工業は何たる公益もないものになる。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余が実業界の人となって以来、接触する人も年々その数を増し、そしてそれらの人々が余の行う所に見倣いて、各々長ずる所によりて事業を精励すれば、たといその人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさえすれば、その結果は国家社会のためになるから、余は常にこれに同情し、その目的を達しさせてやりたいと思うている。これは単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携わる人に対しても、やはり同一主義の下に接して来た。例えば新聞雑誌等に従事している者が来て余に説を請う時にも、余が説を掲載して幾分なりともその価値を高め得るものとすれば、自説はたとい価あるものでないと思うても、請う人の真実心より出たものならばこれを斥けない。それらの人々の希望を容れてやるのは、ひとり希望する人のためのみならず、社会の利益の一部分ともなろうかと考えるので、非常に多忙の時間を割いてその要求に応ずる次第である。
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いものこれはすなわち物を増殖する務めである。これが完全でなければ国の富はなさぬ。その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することが出来ぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。
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