論語と算盤 / 教育と情誼・其罪果して孰れに在りや
支那が後に悪いからとて孔子を軽んぜぬでも宜い、支那が善いからとても桀紂を重んずる訳には往かない、故に孔子が主として子弟を導いた有様は、誠に師たり弟子たる間柄が極く善いと思ふ、斯の如き有様を今日求める訳には往かぬけれども、徳川時代に於ても師弟間の感化力は強かつた、其の情誼が切実であつたといふことは、試みに一例を言はんか、熊沢蕃山が中江藤樹に師事した有様などで分かる、蕃山はあれ程気位の高い人であつて、謂ゆる威武に屈せず、富貴に蕩せずといふ、天下の諸侯を物の数ともせず、備前侯に仕へたが、師として敬せられたから、政を施した位の見識のあつた人だが、中江藤樹に向つては真に子供のやうになつて、三日忍んでさうして弟子たることを得た、其の師弟間の情愛の深かつたのは、蓋し中江藤樹の徳望が人を感化せしめたものと思ふ、又新井白石といふ人も剛情で、智畧といひ、才能といひ、また気象といひ、実に稀有の人である、それが終身木下順庵には服従して居たといふことである、
新字:支那が後に悪いからとて孔子を軽んぜぬでも宜い、支那が善いからとても桀紂を重んずる訳には往かない、故に孔子が主として子弟を導いた有様は、誠に師たり弟子たる間柄が極く善いと思ふ、斯の如き有様を今日求める訳には往かぬけれども、徳川時代に於ても師弟間の感化力は強かつた、其の情誼が切実であつたといふことは、試みに一例を言はんか、熊沢蕃山が中江藤樹に師事した有様などで分かる、蕃山はあれ程気位の高い人であつて、謂ゆる威武に屈せず、富貴に蕩せずといふ、天下の諸侯を物の数ともせず、備前侯に仕へたが、師として敬せられたから、政を施した位の見識のあつた人だが、中江藤樹に向つては真に子供のやうになつて、三日忍んでさうして弟子たることを得た、其の師弟間の情愛の深かつたのは、蓋し中江藤樹の徳望が人を感化せしめたものと思ふ、又新井白石といふ人も剛情で、智略といひ、才能といひ、また気象といひ、実に稀有の人である、それが終身木下順庵には服従して居たといふことである、
書き下し
支那が後に悪いからとて孔子を軽んぜぬでもよい。支那が善いからとても桀紂を重んずる訳には行かない。ゆえに孔子が主として子弟を導いた有様は、誠に師たり弟子たる間柄がごく善いと思う。かくのごとき有様を今日求める訳には行かぬけれども、徳川時代においても師弟間の感化力は強かった。その情誼が切実であったということは、試みに一例を言わんか、熊沢蕃山が中江藤樹に師事した有様などで分かる。蕃山はあれほど気位の高い人であって、いわゆる威武に屈せず、富貴に蕩せずという、天下の諸侯を物の数ともせず、備前侯に仕えたが、師として敬せられたから、政を施したくらいの見識のあった人だが、中江藤樹に向かっては真に子供のようになって、三日忍んでそうして弟子たることを得た。その師弟間の情愛の深かったのは、けだし中江藤樹の徳望が人を感化せしめたものと思う。また新井白石という人も剛情で、智略といい、才能といい、また気象といい、実に稀有の人である。それが終身木下順庵には服従していたということである。
現代語訳
中国が後の世に悪くなったからといって、孔子を軽んじなくてもよい。中国が善いからといって、桀や紂(夏・殷の暴君)を重んじるわけにはいかない。だから孔子が弟子たちを導いた有様は、まことに師であり弟子である間柄として、きわめて善いものだったと思う。このような有様を今日求めるわけにはいかないが、徳川時代においても師弟間の感化の力は強かった。その情誼が切実であったことは、一例を挙げれば、熊沢蕃山が中江藤樹に師事した有様などでわかる。蕃山はあれほど気位の高い人であって、いわゆる「威武にも屈せず、富貴にも心を乱されない」という人物で、天下の諸侯を物の数とも思わず、備前の池田侯に仕えたが、師として敬われたので藩政を施したほどの見識があった。その蕃山が中江藤樹に対しては本当に子どものようになり、三日間じっと耐えて、ようやく弟子となることを許された。その師弟の情愛が深かったのは、思うに中江藤樹の徳望が人を感化したからである。また新井白石という人も強情で、知略といい、才能といい、気性といい、実にまれな人物である。その白石が、生涯、木下順庵には服従していたということである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りやしかるに今の師弟の間は、ほとんど寄席を聴きに行った有様をなしているということは、私は満足の風習でないと恐れている。畢竟これは師匠たる人が悪いと言わなければならぬ。徳望、才能、学問、人格がもう一層進まなければ、その子弟をして敬虔の念を起こさしむることは出来ぬ。そこには師たる人に欠点があると言わねばならぬ。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失現今でも高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫も遜色のない者がいくらもある。昔は少数でもよいから、偉い者を出すという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという常識的教育となっているのである。昔の青年は良師を撰ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山のごときは中江藤樹のもとへ行ってその門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、ついに門人にしたというほどである。その他新井白石の木下順庵における、林道春の藤原惺窩におけるがごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳を磨いたのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りや師弟間の関係をして、情誼を厚くし、相親しむの念慮を強くあらせたいと思う。地方の学校においてはどうか知らぬが、私が聞き及ぶ東京の中辺の学校においては、すこぶるこの師弟の関係が薄い。ほとんど師と弟子とが、悪い例を言おうならば、寄席に出る落語を聴きに行った多数の聴衆のごとく見受けられる。あの人の講義は面白くないとか、あの人は時間が長いとか、甚だしきは悪い癖を見付けて、これを批評すると聞き及ぶ。もっとも昔とても師弟の間の情愛がすべて密だとは言えぬけれども、試みに孔子は三千の弟子があった。これらが皆よく顔を知り、皆よく談話した人ではあるまい。しかしその中で六芸に通ずるものが七十二人あった。これらの人々は常に孔子と談話しておったように見える。七十三人は全く孔子の人格に感化されたように見える。かくのごとき師弟を例として論ずるもあまり過当であろうが、また今日の支那を見ると、さまで模範ともされない。しかし今日の支那が悪いからとて、孔子の徳が変遷する訳はない。
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りやしかし弟子の心得方も甚だ悪いと思う。一般の風習が、その師に対して敬うという念が少ない。他の国々の有様はよく分かりませぬが、かのイギリスなどはどうも私は子弟の間の関係が、日本の今日のようではないと思う。ただし日本でも優れた教育に従事した人が、なお今私が述べた有様とは言わぬ。ある方面には中江藤樹も、木下順庵もあろうけれども、甚だ少ない。過渡時代のため、不幸にしてにわか出来の先生がたくさんあるから、おのずからかかる弊害を惹起したのだと弁解すれば、弁疏の言葉があるけれども、いやしくも人に教授する以上は、その人自身が自ら省みてよほど注意してもらいたいものであると同時に、また一方よりこれを十分敬うという心をもって、師弟の間に情愛をもってしたいと思う。もし諸君の従事なさる学校の教員諸氏にも、生徒をして常にこれに接触せしむるに、かく心掛けられたら、その風儀を良くするということが、ことごとくは届かないまでも、悪いのを防ぐというだけくらいのことは、必ず為し得られるものであろうと、こう思うのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失しかるに現代青年の師弟関係は、全く乱れてしまって、美わしい師弟の情誼に乏しいのは寒心の至りである。今の青年は自分の師匠を尊敬しておらぬ。学校の生徒のごときは、その教師を観ること、あたかも落語師か講談師かのごとく、講義が下手だとか、解釈が拙劣であるとか、生徒としてあるまじきことを口にしている。これは一面より観れば、学科の制度が昔と異なり、多くの教師に接するためであろうが、すべて今の師弟の関係は乱れている。同時に教師もまたその子弟を愛しておらぬという嫌いもあるのである。要するに、青年は良師に接して自己の品性を陶冶しなければならない。昔の学問と今の学問とを比較して見ると、昔は心の学問を専一にしたが、現今は智識を得ることにのみ力を注いでいる。昔は読む書籍そのものがことごとく精神修養を説いているから、自然とこれを実践するようになったのである。修身斉家と言い、治国平天下と言い、人道の大義を教えたものである。
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りや近世佐藤一斎という人も、よく弟子を感化せしめた。また広瀬淡窓も同様である。私の知ってるのは漢学の先生だけだけれども、師弟という関係が、昔風では一身を抽んでて親しむというのである。
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