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論語と算盤 / 教育と情誼・現代教育の得失

現今でも高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫も遜色のない者が幾らもある、昔は少数でも宜いから、偉い者を出すといふ天才教育であつたが、今は多数の者を平均して啓発するといふ常識的教育となつて居るのである、昔の青年は良師を撰ぶといふことに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山の如きは中江藤樹の許へ行つて其の門人たらんことを請ひ願つたが許されず、三日間其の軒端を去らなかつたので、藤樹も其の熱誠に感じて、遂に門人にしたといふ程である、其他新井白石の木下順庵に於ける、林道春の藤原惺窩に於けるが如きは、皆その良師を択んで学を修め、徳を磨いたのである。

書き下し

現今でも高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫も遜色のない者がいくらもある。昔は少数でもよいから、偉い者を出すという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという常識的教育となっているのである。昔の青年は良師を撰ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山のごときは中江藤樹のもとへ行ってその門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、ついに門人にしたというほどである。その他新井白石の木下順庵における、林道春の藤原惺窩におけるがごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳を磨いたのである。

現代語訳

今でも高等教育を受けた青年の中には、昔の青年と比べて少しも見劣りしない者がいくらでもいる。昔は少数でもよいから偉い者を出すという天才教育であったが、今は多数の者を平均的に啓発するという常識的な教育になっているのである。昔の青年は良い師を選ぶことに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山などは、中江藤樹のもとへ行って門人にしてほしいと願い出たが許されず、三日間その軒下を去らなかったので、藤樹もその熱意に感じて、ついに門人にしたというほどである。そのほか、新井白石が木下順庵に、林道春(羅山)が藤原惺窩に師事したように、みな良い師を選んで学問を修め、徳を磨いたのである。

解説

昔と今の教育の違いを、渋沢は「天才教育」と「常識的教育」という言葉で整理する。昔は少数でも偉い者を出せばよかった。今は多数を平均して啓発する。どちらが優れているかではなく、目的が違うのである。そのうえで、昔の青年の美点として良師を選ぶ熱意を挙げる。熊沢蕃山は中江藤樹に入門を願って断られ、三日間軒先を去らずについに許された。新井白石は木下順庵に、林羅山は藤原惺窩に学んだ。いずれも江戸の学問史に残る師弟である。藤樹は近江聖人と呼ばれた陽明学者で、蕃山はその教えを岡山藩の政治に生かした。渋沢がここで伝えたいのは、学ぶ側が師を求める熱意の大切さである。制度が整い、誰にでも教師があてがわれる時代になると、師を選ぶ苦労がなくなり、師を敬う心も薄れる。この問題は次の段で師弟関係の乱れとして論じられる。

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