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論語と算盤 / 教育と情誼・孝は強ふべきものに非ず

斯ることを述べると、如何にも私の自慢話のやうになつて恐縮であるが、実際の事ゆゑ、憚らずお話しする、確か私の二十三歳の時であつたらうと思ふが、父は私に向ひ『其許の十八歳頃からの様子を観て居ると、どうも其許は私と違つた所がある、読書をさしても能く読み、又何事にも悧発である、私の思ふ所から言へば、永遠までも其許を手許に留め置いて、私の通りにしたいのであるが、それでは却つて其許を不孝の子にしてしまふから、私は今後其許を私の思ふ通りのものにせず、其許の思ふま〻に為せることにした』と申されたことがある、如何にも父の申された如く、その頃私は文字の力の上から云へば、不肖ながら或は既に父より上であつたかも知れぬ、また父とは多くの点に於て、不肖ながら優つた所もあつたらう、然るに父が無理に私を父の思ふ通りのものにしようとし、斯くするが孝の道であると、私に孝を強ゆるが如きことがあつたとしたら、私は或は却つて父に反抗したりなぞして、不孝の子になつてしまつたかも知れぬ、

書き下し

かかることを述べると、いかにも私の自慢話のようになって恐縮であるが、実際の事ゆえ、憚らずお話しする。確か私の二十三歳の時であったろうと思うが、父は私に向かい「そこもとの十八歳頃からの様子を観ていると、どうもそこもとは私と違った所がある。読書をさしてもよく読み、また何事にも悧発である。私の思う所から言えば、永遠までもそこもとを手許に留め置いて、私の通りにしたいのであるが、それではかえってそこもとを不孝の子にしてしまうから、私は今後そこもとを私の思う通りのものにせず、そこもとの思うままにさせることにした」と申されたことがある。いかにも父の申されたごとく、その頃私は文字の力の上から言えば、不肖ながらあるいはすでに父より上であったかも知れぬ。また父とは多くの点において、不肖ながら優った所もあったろう。しかるに父が無理に私を父の思う通りのものにしようとし、かくするが孝の道であると、私に孝を強いるがごときことがあったとしたら、私はあるいはかえって父に反抗したりなぞして、不孝の子になってしまったかも知れぬ。

現代語訳

こういうことを述べると、いかにも私の自慢話のようになって恐縮だが、実際のことなので、遠慮せずにお話しする。たしか私が二十三歳のときだったと思うが、父は私に向かって、「おまえの十八歳ごろからの様子を見ていると、どうもおまえは私と違ったところがある。書物を読ませてもよく読み、また何事にも利発である。私の思うところから言えば、いつまでもおまえを手元に留めておいて、私と同じようにしたいのだが、それではかえっておまえを不孝の子にしてしまうから、私は今後、おまえを私の思うとおりの者にはせず、おまえの思うままにさせることにした」と言われたことがある。いかにも父の言われたとおり、そのころの私は、文字の力の点から言えば、至らないながらもあるいはすでに父より上だったかもしれない。また父とは多くの点で、至らないながらも優ったところもあっただろう。それなのに、もし父が無理に私を父の思うとおりの者にしようとし、そうするのが孝の道だと私に孝を強いるようなことがあったとしたら、私はあるいはかえって父に反抗したりして、不孝の子になってしまったかもしれない。

解説

渋沢の父市郎右衛門は、藍玉の製造販売と養蚕を営む豪農で、家業に熱心な実直な人だった。渋沢はその跡を継ぐべき長男である。ところが二十三歳のころ、渋沢は尊王攘夷の志を抱き、家を出ようとしていた。父はそれを見て、おまえは私と違う、手元に置いて同じようにしたいが、それではかえって不孝の子にしてしまう、今後は思うままにさせる、と告げたという。渋沢はこのあと京都へ出て、一橋家に仕えることになる。父の一言がなければ、自分は父に反抗して不孝の子になっていたかもしれない、と渋沢は振り返る。子が自分より優れている点を認め、家業を継がせたいという願いを手放す。親にとってこれほど難しいことはない。後継者を育てる立場にある者にとっても、自分の型に嵌めることが相手を潰すことになりうると教える一段である。

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