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論語と算盤 / 実業と士道・功利学の弊を芟除すべし

日本魂、武士道を以て誇りとする我国の商工業者に道義的観念の乏しいと云ふことは、実に悲むべきことであるが、抑も其の由つて来るところを繹ぬれば、従来因襲する教育の弊であると思ふ、予は歴史家にあらず又学者にあらざれば、遠く其の根源を究むることは出来ないけれども、彼の『民可使由之、不可使知之』といふ、朱子派の儒教主義は、近く維新前まで文教の大権を掌握せる林家の学に依て其の色彩を濃厚にし、被治者階級に属する農工商の生産界は、道徳の天則外に放置せらる〻と共に、己れ亦自から道義に束縛せらる〻の必要なしと感ずるに至つた。

書き下し

日本魂、武士道をもって誇りとする我が国の商工業者に道義的観念の乏しいということは、実に悲しむべきことであるが、そもそもその由って来るところをたずぬれば、従来因襲する教育の弊であると思う。予は歴史家にあらずまた学者にあらざれば、遠くその根源を究むることはできないけれども、かの「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」という、朱子派の儒教主義は、近く維新前まで文教の大権を掌握せる林家の学によってその色彩を濃厚にし、被治者階級に属する農工商の生産界は、道徳の天則外に放置せらるるとともに、己れまた自ずから道義に束縛せらるるの必要なしと感ずるに至った。

現代語訳

日本魂や武士道を誇りとする我が国の商工業者に道義の観念が乏しいということは、実に悲しむべきことであるが、そもそもその由来を尋ねてみれば、昔から受け継がれてきた教育の弊害であると思う。私は歴史家でもなければ学者でもないので、遠くその根源まで究めることはできないけれども、あの「民には従わせればよく、理由を知らせる必要はない」という朱子学派の儒教主義は、つい維新前まで教育行政の大権を握っていた林家の学問によってその色合いを濃くし、治められる側の階級に属する農工商の生産の世界は、道徳の自然の法の外に放り出されると同時に、自分たちもまた、おのずから道義に縛られる必要はないと感じるようになった。

解説

商工業者に道義の観念が乏しいのはなぜか。渋沢はその原因を個人の資質ではなく、江戸時代の教育のあり方に求める。論語泰伯篇の「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」は、民には従わせるだけで道理を知らせる必要はない、と読まれてきた一句である。幕府の文教を担った林家の学がその色を濃くした結果、農工商は道徳の外に置かれ、当人たちも道義に縛られる必要を感じなくなった、と。道徳は治める者の学問で、商いをする者には関係がない。そう扱われた層が、自分でも道徳を他人事と思うようになる。渋沢は農家に生まれ、若いころ代官に理不尽な御用金を命じられて憤った経験を持つ。身分による分断への怒りが、この歴史の見立ての底にある。

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