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論語と算盤 / 実業と士道・此にも能率増進法あり

我々が始終――殊に私などは、其れに就ては恥入つて、諸君にも始終迷惑をかけるが、此物の切盛のつかぬ為に、無駄な時間を費す、之がどうも事物の進むほど注意せねば為らぬこと〻思ふ、従つて之が極端に行くと、能率が大変に悪くなる、能率の悪いといふことは職工か何かにある語ですが、職工ばかりでは無い、通常の事務を処する人でも、チヤンと時の極りが充分附いて、此の時間に是れだけの事をするといふことを遅滞なく完全に遂げて行くことが出来ると、謂は〻゙人を多分に使はぬでも、仕事は沢山に出来て来る、即ち能率が宜くなる、事務に於ても尚ほ然りと思ふ、自身にさう思ふが、さらば日本の諸君が、私ばかりが悪くて他の方は寔に其の権衡を得て、一日何時間働く、其の働く時間は仕事に従事をして居る分量が、寔に完全に、時計の刻むが如くやれ得るかと云ふと、決して爾うでない、或は使はぬでも宜い人を大に使ひ、一度で済むことを三度も人を走らせたり、さうして用は左まで〻ない、費府でワナメーカーが私を接待して呉れた、

書き下し

我々が始終――ことに私などは、それについては恥じ入って、諸君にも始終迷惑をかけるが、この物の切り盛りのつかぬために、無駄な時間を費やす。これがどうも事物の進むほど注意せねばならぬことと思う。したがってこれが極端に行くと、能率が大変に悪くなる。能率の悪いということは職工か何かにある語ですが、職工ばかりでは無い。通常の事務を処する人でも、ちゃんと時の極まりが十分付いて、この時間にこれだけの事をするということを遅滞なく完全に遂げて行くことができると、いわば人を多分に使わぬでも、仕事はたくさんにできて来る。すなわち能率がよくなる。事務においてもなお然りと思う。自身にそう思うが、さらば日本の諸君が、私ばかりが悪くて他の方はまことにその権衡を得て、一日何時間働く、その働く時間は仕事に従事をしている分量が、まことに完全に、時計の刻むがごとくやれ得るかというと、決してそうでない。あるいは使わぬでもよい人を大いに使い、一度で済むことを三度も人を走らせたり、そうして用はさまででない。フィラデルフィアでワナメーカーが私を接待してくれた。

現代語訳

我々はいつも――とくに私などはそのことについては恥じ入っていて、諸君にもいつも迷惑をかけているのだが、物事の段取りがつかないために無駄な時間を費やしている。これは物事が進むほど注意しなければならないことだと思う。したがってこれが極端になると、能率がひどく悪くなる。能率が悪いというのは職工などについて使う言葉だが、職工ばかりではない。ふつうの事務をとる人でも、きちんと時間の決まりが十分についていて、この時間にこれだけのことをするということを滞りなく完全にやり遂げていけるなら、いわば人を多く使わなくても、仕事はたくさんできるようになる。つまり能率がよくなる。事務においてもやはりそうだと思う。自分ではそう思うが、では日本の諸君が、私だけが悪くてほかの人はまことに釣り合いがとれていて、一日何時間働き、その働く時間に仕事に従事している分量が、まことに完全に、時計が時を刻むようにやれているかというと、決してそうではない。あるいは使わなくてもよい人を大勢使い、一度で済むことに三度も人を走らせたりして、しかも用件はそれほどのことでもない。フィラデルフィアでワナメーカーが私をもてなしてくれた。

解説

この章は講演の口調をそのまま残している。渋沢はまず自分を責める。段取りがつかず、時間を無駄にして、皆に迷惑をかけていると。そのうえで、能率の悪さは職工だけの話ではないと言う。当時「能率」は工場の生産性を指す新しい言葉だった。事務の人も、時間の決まりをつけて、この時間にこれだけのことをすると決めてやり遂げれば、人を多く使わずに多くの仕事ができる。ところが日本の事務は、要らない人を使い、一度で済む用事に三度も人を走らせ、しかも用件は大したことがない。大正初期の話だが、会議や決裁の回し方を思えば耳が痛い。批判を自分から始めているのも渋沢らしい。人を責める前に自分の無駄を認めることで、聞き手が自分の仕事を振り返る余地を作っている。ここからワナメーカーの話へ入っていく。

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