論語と算盤 / 実業と士道・武士道は即ち実業道なり
想ふに此の武士道は、啻に儒者とか武士とかいふ側の人々に於てのみ行はる〻ものではなく、文明国に於ける商工業者の、拠りて以て立つべき道も玆に存在すること〻考へる、彼の泰西の商工業者が、互に個人間の約束を尊重し、仮令その間に損益はあるとしても、一度約束した以上は、必ず之を履行して前約に背反せぬといふことは、徳義心の鞏固なる正義廉直の観念の発動に外ならぬのである、然るに我日本に於ける商工業者は、尚ほ未だ旧来の慣習を全く脱することが出来ず、動ともすれば道徳的観念を無視して、一時の利に趨らんとする傾向があつて困る、欧米人も常に日本人が此の欠点あることを非難し、商取引に於て日本人に絶対の信用を置かぬのは、我邦の商工業者に取つて非常な損失である。
書き下し
おもうにこの武士道は、ただに儒者とか武士とかいう側の人々においてのみ行わるるものではなく、文明国における商工業者の、拠りてもって立つべき道もここに存在することと考える。かの泰西の商工業者が、互いに個人間の約束を尊重し、たといその間に損益はあるとしても、一度約束した以上は、必ずこれを履行して前約に背反せぬということは、徳義心の鞏固なる正義廉直の観念の発動にほかならぬのである。しかるに我が日本における商工業者は、なおいまだ旧来の慣習を全く脱することが出来ず、ややもすれば道徳的観念を無視して、一時の利に趨らんとする傾向があって困る。欧米人も常に日本人がこの欠点あることを非難し、商取引において日本人に絶対の信用を置かぬのは、我が邦の商工業者に取って非常な損失である。
現代語訳
思うに、この武士道は、ただ儒者や武士といった側の人々の間でだけ行われるものではなく、文明国における商工業者が拠りどころとして立つべき道も、ここにあるのだと考える。あの西洋の商工業者が、互いに個人間の約束を尊重し、たとえそのあいだに損得があるとしても、一度約束した以上は必ずこれを履行して、前の約束に背かないということは、徳義心の強い、正義廉直の観念の表れにほかならないのである。ところが、わが日本の商工業者は、いまだに旧来の慣習をまったく脱することができず、ともすると道徳的な観念を無視して一時の利益に走ろうとする傾向があって困る。欧米人も常に日本人にこの欠点があることを非難し、商取引において日本人に全幅の信用を置かないのは、わが国の商工業者にとって非常な損失である。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』実業と士道・武士道は即ち実業道なりいやしくも世に処し身を立てようと志すならば、その職業の何たるを問わず、身分の如何を顧みず、終始自力を本位として須臾も道に背かざることに意を専らにし、然る後に自ら富みかつ栄ゆるの計を怠らざるこそ、真の人間の意義あり価値ある生活ということが出来よう。今や武士道は移してもって実業道とするがよい。日本人はあくまで大和魂の権化たる武士道をもって立たねばならぬ。商業にまれ工業にまれ、この心をもって心とせば、戦争において日本が常に世界の優位を占めつつあるごとく、商工業においてもまた世界に勇を競うに至られるのである。
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『論語と算盤』実業と士道・武士道は即ち実業道なり武士道の神髄は正義、廉直、義侠、敢為、礼譲等の美風を加味したもので、一言にしてこれを武士道と唱えるけれども、その内容に至りてはなかなか複雑した道徳である。そして余がはなはだ遺憾に思うのは、この日本の精華たる武士道が、古来もっぱら士人社会のみに行われて、殖産功利に身を委ねたる商業者間に、その気風のはなはだ乏しかった一事である。古の商工業者は武士道に対する観念を著しく誤解し、正義、廉直、義侠、敢為、礼譲等のことを旨とせんには、商売は立ち行かぬものと考え、かの「武士は食わねど高楊枝」というがごとき気風は、商工業者に取っての禁物であった。おもうにこれは時勢のしからしめた所もあったであろうけれども、士人に武士道が必要であったごとく、商工業者もまたその道が無くてはかなわぬことで、商工業者に道徳は要らぬなぞとは飛んでもない間違いであったのである。
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『論語と算盤』実業と士道・果して誰の責任ぞ国異なれば道義の観念もまた自ずと異なるものであるから、仔細にその社会の組織風習に鑑み、祖先以来の素養慣習に考え、その国、その社会に適応する所の道徳観念の養成を努めなければならぬものである。一例を挙げれば、「父召せば諾なし、君命じて召せば駕を待たずして行く」とは、すなわち日本人が君父に対する道徳観念である。父が召せば声に応じて起ち、君が命じて召すことあれば、場合を問わずして直ちに自ら赴くとは、古来日本人士の間に自然的に養成されたる一種の習慣性である。しかるにこれを個人本位の西洋主義に比較すれば、その軒輊は非常なもので、西洋人の最も尊重する個人の約束も、君父の前には犠牲としてあえて顧みぬでもよいということになる。日本人は忠君愛国の念に富んだ国民であると称揚される傍から、個人間の約束を尊重せぬとの誹謗を受けるのも、要するにその国固有の習慣性が然らしめたので、我と彼ではその重んずる所のものに差違がある。
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『論語と算盤』実業と士道・武士道は即ち実業道なりおよそ人としてその処世の本旨を忘れ、非道を行うても私利私欲を充たそうとすることがあったり、あるいは権勢に媚び諂うてもその身の栄達を計らんと欲するは、これ実に人間行為の標準を無視したもので、かくのごときは決してその身、その地位を永遠に維持する所以の道ではないのである。
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『論語と算盤』実業と士道・功利学の弊を芟除すべし商業道徳の骨髄にして、国家的、むしろ世界的に直接至大の影響ある、信の威力を闡揚し、我が商業家のすべてをして、信は万事の本にして、一信よく万事に敵するの力あることを理解せしめ、もって経済界の根幹を堅固にするは、緊要中の緊要事である。
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『論語と算盤』実業と士道・武士道は即ち実業道なりけだし封建時代において、武士道と殖産功利の道と相背馳するがごとく解せられたのは、なおかの儒者が、仁と富とは並び行われざるもののごとく心得たと同一の誤謬であって、両者共に相背馳するものでないとの理由は、今日既に世人の認容し了解された所であろうと思う。孔子のいわゆる「富と貴とはこれ人の欲する所なり、その道をもってせずしてこれを得れば処らざるなり、貧と賤とはこれ人の悪む所なり、その道をもってせずしてこれを得るも去らざるなり」とは、これ誠に武士道の真髄たる正義、廉直、義侠等に適合するものではあるまいか。孔子の訓において、賢者が貧賤に処してその道を易えぬというのは、あたかも武士が戦場に臨んで敵に後ろを見せざるの覚悟と相似たるもので、またかのその道をもってするにあらざれば、たとい富貴を得ることがあっても、安んじてこれに処らぬと言うのは、これまた古え武士がその道をもってせざれば一毫も取らなかった意気と、その軌を一にするものと言ってよろしかろう。
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