論語と算盤 / 常識と習慣・悪んで其の美を知れ
余が実業界の人となつて以来、接触する人も年々その数を増し、而して夫等の人々が余の行ふ所に見傚ひて、各々長ずる所に由りて事業を精励すれば、仮令其人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさへすれば、其の結果は国家社会の為になるから、余は常に之に同情し、其の目的を達しさせてやりたいと思うて居る、是は単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携はる人に対しても、矢張り同一主義の下に接して来た、例へば新聞雑誌等に従事して居る者が来て余に説を請ふ時にも、余が説を掲載して幾分なりとも其価値を高め得るものとすれば、自説は仮令価あるものでないと思うても、請ふ人の真実心より出たものならば之を斥けない、夫等の人々の希望を容れてやるのは、独り希望する人の為のみならず、社会の利益の一部分ともならうかと考へるので、非常に多忙の時間を割いて其の要求に応ずる次第である、
書き下し
余が実業界の人となって以来、接触する人も年々その数を増し、そしてそれらの人々が余の行う所に見倣いて、各々長ずる所によりて事業を精励すれば、たといその人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさえすれば、その結果は国家社会のためになるから、余は常にこれに同情し、その目的を達しさせてやりたいと思うている。これは単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携わる人に対しても、やはり同一主義の下に接して来た。例えば新聞雑誌等に従事している者が来て余に説を請う時にも、余が説を掲載して幾分なりともその価値を高め得るものとすれば、自説はたとい価あるものでないと思うても、請う人の真実心より出たものならばこれを斥けない。それらの人々の希望を容れてやるのは、ひとり希望する人のためのみならず、社会の利益の一部分ともなろうかと考えるので、非常に多忙の時間を割いてその要求に応ずる次第である。
現代語訳
私が実業界の人となって以来、接する人も年々その数を増してきた。そうした人々が私のやり方を見習って、それぞれ得意とするところによって事業に励めば、たとえその人自身は自分の利益だけを図る目的から出ていたとしても、従事する業務が正しくありさえすれば、その結果は国家社会のためになる。だから私はいつもそうした人に同情し、その目的を遂げさせてやりたいと思っている。これは、直接に利益を追う商工業者に対してだけでなく、文筆に携わる人に対しても、やはり同じ主義で接してきた。たとえば新聞や雑誌などに携わる者が来て私に意見を求めるときにも、私の意見を載せることでその新聞や雑誌の価値をいくらかでも高められるのであれば、自分の意見はたとえ値打ちのあるものでないと思っても、頼む人の真心から出たものであるなら断らない。そうした人々の希望をかなえてやるのは、ただ希望する本人のためだけでなく、社会の利益の一部にもなるだろうと考えるので、非常に忙しい時間を割いてその求めに応じているのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れなるほどそう言われて見ると、この評もあるいはしからんと、自ら思い当たることがないでもない。しかしながら余は別に自己の主義とする所があって、およそ世事に処するに当たっては、一身を立つると同時に社会の事に勤め、能う限り善事を殖やし、世の進歩を図りたいとの意念を抱持している。したがって単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいうものは第二に置き、もっぱら国家社会のために尽くさんことを主意とするものである。されば人のために謀って善をなすことに心掛け、すなわち人の能を助けて、それを適所に用いたいとの念慮が多いのである。この心掛けがそもそも世人から誤解を招くに至った所以ではあるまいか。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れそしてそれらの人の言って来た事柄でも、または知己から頼まれたことでも、道理にかなっていることであれば、余はその人のため、二つには国家社会のために自力の及ぶ程度において力を貸してやる。
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『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営それから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心にしていた。福沢翁の言に「書物を著しても、それを多数の者が読むようなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念をもって筆を執らなければならぬ」という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまたこの理にほかならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言われない。仮りに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばいかがなものであろうか。いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。ゆえに国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れしかるに余がこの門戸開放主義につけ込んで、非理を要求して来る人があって困る。例えば、見ず知らずの人から生活上の経費を貸してくれと申し込まれたり、あるいは親が身代不如意のため、自分は中途から学資を絶たれて困るから、今後何年間学資の補助を仰ぎたいとか、またはかくかくの新発明をしたから、この事業を成立させるまで助勢を乞うとか、甚だしきに至っては、これこれの商売を始めたいから資本を入れてくれとか、ほとんどこの種の手紙が月々何十通となく舞い込んで来る。余はその表面に自己の宛名がある以上、必ずそれを読むの義務があると思うので、そういう手紙の来るごとに、きっと目を通すことにしている。また自ら余が家に来りてこの種の希望を述べる者もあるので、余はそれらの人々にも面会するが、しかしこれらの希望や要求というものには道理のないのが多いから、手紙の方はことごとく自身では断り切れぬけれども、特に出向いて来た人に対しては、その非理なる所以を説いて断るようにしている。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余がこの行為を他人から見たならば、何もそういう手紙を一々見たり、そういう人にことごとく会う必要はないと言うであろう。けれどももしそれらに対して面会を謝絶したり、手紙を見なかったりすることは、余が平素の主義に反する行為となる。それゆえ自ら雑務が多くなって、寸暇もなくなるゆえ困るとは知りながらも、主義のために余計な手数をもかける訳である。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ自己の懐抱する主義がこうであるから、面会を求めて来る人には必ず会うて談話する。知人としからざるとの別なく、自分に差し支えなければ、必ず面会して先方の注意と希望を聞くことにしている。それであるから来訪者の希望が道理にかなっていることと思う場合ならば、相手の何人たるを問わず、その人の希望をかなえてやる。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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