論語と算盤 / 処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの
これは即ち物を増殖する務めである、是が完全で無ければ国の富は成さぬ、其の富を成す根源は何かと云へば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、其の富は完全に永続することが出来ぬ、玆に於て論語と算盤といふ懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務と自分は考へて居るのである。
書き下し
これはすなわち物を増殖する務めである。これが完全でなければ国の富はなさぬ。その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することが出来ぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。
現代語訳
これはつまり、物を増やし殖やす務めである。これが十分でなければ国の富は成り立たない。では、その富を成す根源は何かといえば、仁義道徳である。正しい道理に基づいた富でなければ、その富は完全に長続きすることができない。そこで、論語と算盤というかけ離れたものを一致させることこそが、今日の最も大切な務めだと私は考えているのである。
解説
前段で利殖の必要を強く説いた渋沢は、ここで条件を付ける。実業とは物を増殖する務めであり、それなしに国は富まない。しかしその富が永続するかどうかは、根源に仁義道徳があるかどうかで決まる。これが後に道徳経済合一説と呼ばれる渋沢の中心思想であり、書名の論語と算盤はその二つの柱を指す。第一国立銀行をはじめ五百余りの会社の設立に関わった渋沢が、一代で財閥を築く道を選ばなかったのも、この考えに沿っている。ここで言う道徳は、利益に歯止めをかける外からの規制ではなく、富を長続きさせる土台として置かれている点に注意したい。目先の利を取って信用を失う事業は、結局続かない。懸け離れて見える二つを一致させることを、渋沢は今日の緊要の務めと呼んだ。
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