論語と算盤 / 算盤と権利・合理的の経営
自分は常に事業の経営に任じては、其の仕事が国家に必要であつて、又道理に合するやうにして行きたいと心掛けて来た、仮令その事業が微々たるものであらうとも、自分の利益は少額であるとしても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽んで事に任じられる、故に余は論語を以て商売上の『バイブル』となし、孔子の道以外には一歩も出まいと努めて来た
書き下し
自分は常に事業の経営に任じては、その仕事が国家に必要であって、また道理に合するようにして行きたいと心掛けて来た。たといその事業が微々たるものであろうとも、自分の利益は少額であるとしても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで事に任じられる。ゆえに余は論語をもって商売上のバイブルとなし、孔子の道以外には一歩も出まいと努めて来た。
現代語訳
自分は事業の経営にあたるとき、その仕事が国家にとって必要であり、また道理にかなうようにしたいと常に心がけてきた。たとえその事業が小さなものであろうと、自分の取り分がわずかであろうと、国家に必要な事業を合理的に経営すれば、心はいつも楽しんで仕事に向かえる。だから私は、論語を商売上のバイブルとし、孔子の道の外へは一歩も出まいと努めてきたのである。
解説
章の前半は悪徳重役の分類である。名を借りたいだけの虚栄的重役、好人物だが手腕がなく部下の不正を見抜けない重役、そして会社を自分の栄達や利欲の踏み台にする重役。三番目は虚偽の配当や会社資金の流用にまで進み、もはや窃盗と選ぶところがない、と断ずる。原因はどれも道徳の修養を欠くことにある、と。そのうえでこの一段が置かれる。渋沢の基準は二つ、国家に必要であること、道理に合うこと。取り分が少なくても、この二つを満たせば楽しんで仕事に向かえるという。同じ章で彼は、一人が富豪になっても社会の多数が貧困に陥る事業なら、その幸福は続かないとも書いている。
この章句が説くこと
合理的の経営悪徳重役論語を商売のバイブルとす国家必要の事業